後漢の「献帝」を手中におさめた曹操は絶大な権力を握ります。飛ぶ鳥を落とす勢いの曹操でしたが、民衆の支持を集める「劉備」と、武力に優れた「呂布」はとても邪魔でした。
そこで曹操は参謀の「荀彧」に意見を求めます。そこで荀彧が提案したのが「二虎競食」の計です。今回の記事ではそんな「二虎競食の計」について解説しましょう。ちなみに「二虎競食の計」は小説「三国志演義」のオリジナルエピソードです。
この記事の目次
二虎競食の計が誕生するきっかけ
曹操は献帝を手中にし、絶大な権力を手に入れると、大宴会を開きました。そこで前述の「呂布と劉備」についての懸念を口にし、集まった家臣に対応策を提案させます。
最初は武将の「許チョ」が「私に兵を与えてくれれば、劉備と呂布など蹴散らしてしまいましょう。」と大言をします。
しかしそこで荀彧が「許チョ殿の武力は頼もしいですが、今は都を手中にしたばかりで安易に兵を動かすのは危険です。そこで私に提案があるのですが。」
関連記事:ええっ!成功事例もあった孔明の女物の衣服を贈る計略
「二虎競食の計」とは?
荀彧は「二虎競食の計」を提案します。「2頭の虎の間に肉を投げ込めば、虎は戦いを始めるでしょう。そうなると二頭の虎は死ぬまで戦い、勝った方も手負いなので、狩るのは簡単です。そこで、劉備と呂布を戦わせ、消耗している所をつぶしましょう。これが“二虎競食の計”でございます。」
曹操はこの提案を受け入れます。そうなると、呂布と劉備を戦わせる「肉」が必要となってきますね。
関連記事:水攻め、地雷?三国志の中で最強の計略ランキングを三國志ライター黒田レンが発表するよ
劉備に肉を与えるが・・・
そこで曹操は朝廷を握っていることを利用し、劉備に「肉」を与えます。それは劉備に「徐州」の太守(県知事のような感じ)に任命し、加えて「呂布の討伐」を命じます。
劉備は放浪生活が長いですから、この案に乗ってくると曹操は睨んだのでしょう。また、当時呂布は劉備の元に身を寄せていましたから、討伐の絶好のチャンスだったのでしょう。
関連記事:劉備と呂布の関係って現代でも通用する?裏切られたら容赦はしない、が乱世の基本
関連記事:若い時の陳羣は何をしていたの?劉備・呂布に仕えていた若き頃の陳羣
「二虎競食の計」は成功したのか?
そして劉備の元に呂布討伐の密書が届きます。劉備は家臣たちと協議をし、張飛などは呂布を殺すことに賛成します。
しかし劉備は「頼ってきているものを殺すわけにはいかない。」と、呂布討伐命令を拒否することを決断します。翌日、呂布が徐州太守就任の祝いに訪ねてきます。そこで劉備は呂布に密書を見せ、これを見た呂布は「これは我々を戦わせようとする曹操の罠ですぞ。」と見抜きます。
劉備は「曹操の命令には従いません、ご安心ください。」と語り、結局「二虎競食の計」は失敗してしまうのです。
関連記事:どうして劉備は呂布を胡散臭いと思ったの?
関連記事:もし郭嘉が劉備軍の軍師だったらどうなる?呂布や袁術も討伐できた!?
あきらめない荀彧、次なる計は
作戦が失敗したことを聞いた荀彧は、次なる計略を曹操に提案します。それは「駆虎呑狼の計」と言います。これは「豹(袁術)に虎(劉備)を襲わせ、留守になった虎の穴を狼(呂布)に襲わせる」という作戦です。
そこで曹操は勅命(皇帝の命令)を使い、袁術と劉備を戦わせます。劉備はさすがに勅命には逆らえず、袁術を討つべく出陣をします。その際に城の留守は張飛に任せていたのですが、張飛は酒に酔いつぶれてしまいます。
その隙をついたのがなんと呂布。呂布は城を奪い、「駆虎呑狼の計」は成功したかのようにみえました。しかし、呂布はのちに袁術と組むのですが揉め、結局は劉備と講和することになり、駆虎呑狼の計も大成功とは言えませんでした。
関連記事:劉備と呂布を仲たがいさせよ!駆虎呑狼の計
関連記事:劉備と呂布を仲たがいさせよ!二虎競食の計
【次のページに続きます】