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馬謖は処刑時38歳で未熟ではなかった?
「泣いて馬謖を斬る」の故事を皆さんはご存知でしょうか。劉備から「あいつ何かやらかしそう」と言われていたにも関わらず、諸葛亮は馬謖を重用しました。
しかしその馬謖は街亭でとんでもない失態を犯し、諸葛亮はこれを泣きながら処しました。ここから生まれた故事が「泣いて馬謖を斬る」です。
この馬謖、若いイメージ無いですか?
というか筆者はありました。
しかし実はこの時の馬謖、年齢にして38歳くらいなのです!
アラフォーなのです!
お兄ちゃんより年とってる!
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馬謖は部長昇進で意気込んでプロジェクト失敗したタイプ
別にアラフォーでも何でもいいのですが、馬謖の失態がどうにも経験不足だ何だと言われるイメージから、この頃の馬謖はまだ若い、と思っていた筆者には衝撃でした。とは言え年齢を考えれば次世代と言う年齢でもあるので、郭嘉と同じくらいと言われれば諸葛亮の失意と悲しみも理解できますね。
ですがこう並べてみると中々年齢のイメージが変わって面白いと思いました。皆さんもぜひ三国志とにらみ合いっこしながら年齢表を作ってみて、一喜一憂してみて下さいね。
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三国志ライター センのひとりごと
孔子曰く、
「十五の時に、学問で身を立てると決心した」
「三十の時に、独り立ちした」
「四十の時に、心の迷いがなくなった」
「フィフティのタイムに天が与えたミッションを自覚してパワーアップイズナウ(誤訳)」
「六十の時に、周囲の言葉を素直に聞けるようになった」
「七十の時に、自分がやりたいことをやっても人の道からはそれなくなった」
とあるように、この時代でも結構長生きをしている人は長生きしていたのでしょうね。
またこれと照らし合わせると、馬謖はちょうど迷いがなくなる年齢で、忠告を聞かない時代だったのかな……とか思うと不思議に納得してしまいました。ともあれ三国志と年齢のお話、本日はこれくらいにしておきましょう。
どぼーん。
参考文献:魏書郭嘉伝 呉書周瑜伝 魯粛伝 蜀書馬良伝 馬謖伝
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