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三国志英雄の年齢を考える。あの大事件の時あの人は〇歳だった?

2022年5月5日


 

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kawauso編集長と村人(農民)

 

皆さんは年齢についてはどうお考えでしょうか?

 

10代、若いですね。

20代、若いです。

30代、働き盛りです。

40代、年を重ねてきました。

 

実は使者として超絶優秀だった孫乾

 

……というようにイメージはそれぞれでしょうが、ここは三国志(さんごくし)の時代と照らし合わせて見てみたいというのが今回のテーマです。三国志の時代はまだまだ医療も整っていないようで、意外と長生きする人は長生きする時代。この時代の年齢のイメージを所々見てみましょう。

 

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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郭嘉は38歳で現在なら企業の課長レベル

朝まで三国志2017-06 郭嘉

 

郭嘉(かくか)は38歳で亡くなりました。

 

 

曹操と郭嘉

 

曹操(そうそう)は郭嘉が亡くなった際に諸侯に「ここにいるのはみんな同年代だけど、郭嘉は飛びぬけて若かった」「天下の後事を託したかった」と述べています。確かに38歳で病死と言うのは現代の感覚でも速いですね。曹操は郭嘉よりも15ほど年上なので、一回り違うことを考えると、次代を託したかったというのも理解できますね。

 

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郭嘉特集

 

 

 

馬良は36歳で会社の係長レベル

馬良

 

因みに呉の周瑜(しゅうゆ)、蜀の馬良(ばりょう)が亡くなった年こそ違いますが、それぞれ36歳で亡くなっています。周瑜は急死とありますので、恐らくは病死。また馬良は夷陵(いりょう)の戦いでの討ち死です。

 

馬良と馬謖兄弟

 

年代こそ違いますがまだまだ働き盛り、これからという年でもあります。この時点でどちらも欠かせないような人物と言うことを考えると、失ったものの大きさを感じます。

 

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英雄の死因

 

 

劉備は脾肉の嘆の時46歳で部長レベル

劉備 髀肉の嘆 ゆるキャラ

 

また有名なエピソードで、髀肉(ひにく)(たん)があります。

 

これは劉備(りゅうび)が零した話で「若い頃は馬を駆っていたのに、馬に乗らなくなって足に髀肉(贅肉)が付いてしまった。年を取ってしまったのにまだ何も成し遂げてない」と言った時の話です。

 

土いじりをする劉備

 

細かい年齢ははっきりとしませんが、この時の年齢が大体、46歳くらいかと思われます。ふむ、しかし46歳ともなってまだ何もできてない……と嘆いてしまうのは分からないでもありません。

 

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英雄の墓

 

 

魯粛も46歳で現代の会社の部長レベル

魯粛 天下二分の計

 

ここで同じような年齢の紹介として、時代はまたずれるものの魯粛(ろしゅく)が挙げられます。魯粛の亡なった年齢が46歳なのですね。これもはっきりとしていませんが、周瑜と同じく病死のようです。孫権(そんけん)は魯粛を失って慟哭したと言います。

 

呉の孫権

 

とは言え劉備の「年を取った」という発言を見ると、魯粛もそんなに若くはないと思いますが……まあ、魯粛を亡くしたらそら泣くよね、という話ですね、これは。

 

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法正

 

現代の感覚とあまり変わらない

寿命を全うした70歳の趙雲

 

医療も発達した現代、寿命は昔に比べると遥かに伸びているとも言われ、現代の感覚でいうと早死が、歴史を見るとその次代では決して早死ではないということは良くあります。

 

ただし前述したように、これらのエピソードを見ると、三国志の時代の年齢は現代とそうイメージが離れていないように感じます。これはちょっと面白くないですか?

 

とは言え、現代語訳や物語のイメージとすると実際のイメージとはだいぶ違うものがあるのも現状。その一例をご紹介しましょう。

 

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馬謖

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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