皆さんは年齢についてはどうお考えでしょうか?
10代、若いですね。
20代、若いです。
30代、働き盛りです。
40代、年を重ねてきました。
……というようにイメージはそれぞれでしょうが、ここは三国志の時代と照らし合わせて見てみたいというのが今回のテーマです。三国志の時代はまだまだ医療も整っていないようで、意外と長生きする人は長生きする時代。この時代の年齢のイメージを所々見てみましょう。
この記事の目次
郭嘉は38歳で現在なら企業の課長レベル
郭嘉は38歳で亡くなりました。
曹操は郭嘉が亡くなった際に諸侯に「ここにいるのはみんな同年代だけど、郭嘉は飛びぬけて若かった」「天下の後事を託したかった」と述べています。確かに38歳で病死と言うのは現代の感覚でも速いですね。曹操は郭嘉よりも15ほど年上なので、一回り違うことを考えると、次代を託したかったというのも理解できますね。
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馬良は36歳で会社の係長レベル
因みに呉の周瑜、蜀の馬良が亡くなった年こそ違いますが、それぞれ36歳で亡くなっています。周瑜は急死とありますので、恐らくは病死。また馬良は夷陵の戦いでの討ち死です。
年代こそ違いますがまだまだ働き盛り、これからという年でもあります。この時点でどちらも欠かせないような人物と言うことを考えると、失ったものの大きさを感じます。
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劉備は脾肉の嘆の時46歳で部長レベル
また有名なエピソードで、髀肉の嘆があります。
これは劉備が零した話で「若い頃は馬を駆っていたのに、馬に乗らなくなって足に髀肉(贅肉)が付いてしまった。年を取ってしまったのにまだ何も成し遂げてない」と言った時の話です。
細かい年齢ははっきりとしませんが、この時の年齢が大体、46歳くらいかと思われます。ふむ、しかし46歳ともなってまだ何もできてない……と嘆いてしまうのは分からないでもありません。
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魯粛も46歳で現代の会社の部長レベル
ここで同じような年齢の紹介として、時代はまたずれるものの魯粛が挙げられます。魯粛の亡なった年齢が46歳なのですね。これもはっきりとしていませんが、周瑜と同じく病死のようです。孫権は魯粛を失って慟哭したと言います。
とは言え劉備の「年を取った」という発言を見ると、魯粛もそんなに若くはないと思いますが……まあ、魯粛を亡くしたらそら泣くよね、という話ですね、これは。
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現代の感覚とあまり変わらない
医療も発達した現代、寿命は昔に比べると遥かに伸びているとも言われ、現代の感覚でいうと早死が、歴史を見るとその次代では決して早死ではないということは良くあります。
ただし前述したように、これらのエピソードを見ると、三国志の時代の年齢は現代とそうイメージが離れていないように感じます。これはちょっと面白くないですか?
とは言え、現代語訳や物語のイメージとすると実際のイメージとはだいぶ違うものがあるのも現状。その一例をご紹介しましょう。
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