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馬超の妻も子も死屍累々
更に言うなら、楊阜らが反乱を起こした際に馬超の妻子も殺されてしまいました。思えば馬超の妻は、王異に欺かれて夫を窮地に落としてしまい、自身も子供も殺されてしまったのです。
余談ですが、馬超と韓遂はこの後に落ち延びますが、韓遂は後に娘婿に当たる闇行に裏切られることになりました。
馬一族の三族皆殺しから始まり、涼州の主だった人物たちの身内に至るまで、凄惨な血で血を洗うような戦乱は、ここで一端の終幕となったのです。
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特に死屍累々ぶりがひどい涼州
とは言え、時代は戦乱の世。群雄割拠の時代ではありますから、その間に家族を、身内を失うことは珍しくはないことでもあり、時に身内でも争うような時代でした。
ですが、あまりにも被害が甚大というか、凄惨というか……時代背景と、覚悟の上とは言え、とてもハッピーエンドとはいかないのが凄い所だと思います。何せ涼州の人々でさえ、結果として身内を見捨てる決断をさせられているのですから。
個人的に三国志の中でもかなり凄惨な悲劇と思い、今回は改めてご紹介させて頂きました。
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三国志ライター センのひとりごと
涼州の争いは人々の考え、思い、色々なものが交差して起こった悲劇です。馬超側から見ても、相対する涼州軍閥の人々から見ても、幸福な結末とはとてもではないけれど言えません。同時にこの時代が戦乱の世であることが、良く分かる戦いの連鎖だと思います。
「……いやー……馬超、暴れたなぁ……」
と、一言では終わらせてはいけないけれど、一言しか出てこなくなる、そんな結末ですね。
ちゃぽーん。
参考文献:蜀書馬超伝 魏書楊阜伝
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