曹操はどうして徐州出身者に嫌われているのか?天下を狙うならやってはいけない「徐州大虐殺事件」の真相




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三国志の武器 重戦車 曹操

 

古代中国史上において、「天下を狙う人は絶対にやってはいけないこと」があります。三国志の時代、かの曹操(そうそう)が、まさにそれを「やってしまった」人だということをご存知でしょうか?

 

それが徐州(じょしゅう)における大虐殺事件です。




曹操がやってしまった大汚点「徐州大虐殺事件」

陶謙軍に襲われ財宝を盗まれ亡くなった曹嵩

発端は、曹操の父である曹嵩(そうすう)が、徐州の領主だった陶謙(とうけん)の部下に殺害された事件に始まります。父を殺されたことに激怒した曹操は兵を率いて徐州を猛攻撃。

 

ブチ切れる曹操

 

そこまでは大義名分が立つ話なのですが、この際に曹操軍は、道行く町や村で領民の徹底的な大量虐殺を行ったのです。これは犬猫や鶏すらも残さないという破壊的なもので、徐州の人々はその残虐さに震え上がったのでした。

 

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事件の余波で曹操は天下を逃した?

魯粛

 

ところがこの事件の余波は、意外なところにまで及びます。魯粛(ろしゅく)麋竺(びじく)といった徐州出身の名士が、ことごとく「反曹操」に回るきっかけになったのです。

 

魯粛、孫権、張昭

 

とりわけ魯粛は、孫権(そんけん)配下で反曹操派の筆頭として活躍し、赤壁(せきへき)の戦いを主導した参謀ですよね。孫権軍が「降伏か、抗戦か」で割れていた赤壁前夜に、魯粛があれだけ断固とした態度で抗戦を主張していたのも、もしかすると、この徐州大虐殺の影響だったかもしれないわけです。

 

赤壁の戦いで敗北する曹操

 

そしてその魯粛が導いた「反曹操」路線が赤壁における曹操軍大敗につながるなら、間接的な話ながら、徐州大虐殺が曹操の天下統一事態を阻んでしまったということにすら、なるのかもしれません!

 

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覇を競う乱世に新たな秩序を打ち立てた曹操の生涯
曹操孟徳

 

曹操の行動はそもそも古代中国史上「やってはいけない」パターンだった?

朝まで三国志201 観客2 モブでブーイング

 

そもそもこの徐州大虐殺は、「古代中国史上で、天下を狙う人が、やってはいけないパターン」に見事にハマっていることに注目すべきでしょう。

 

劉邦と項羽

 

たとえば「項羽(こうう)劉邦(りゅうほう)の物語」として知られている楚漢(そかん)戦争。この時、前政権である秦を滅亡させたのは、劉邦ではなく項羽のほうでした。

生き埋めにさせようとする項羽

 

つまり、項羽のほうが、当初は劉邦より天下に近かったのです。ところがこの際に投降してきた20万人の秦軍兵士を世話することができなくなり、項羽はこの20万人を皆殺しにしてしまいました。

 

劉邦

 

この事件によって、「項羽に投降しても殺される」という恐怖感が中国全土に広がり、結果としては、劉邦の逆転勝利につながったのでした。

 

項羽

 

どうやら天下を狙うためには、どんな汚い「陰謀」「策略」をやる必要に迫られたとしても、何十万単位の無意味な虐殺は、絶対に避けなければいけない。その汚名を浴びるとたちまち中国全土からそっぽを向かれる、というのが古代中国史のパターンのようです。

 

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徐州大虐殺は扱いに困っていた流民に仕事を与えた結果の「事故」?

兵士と禰衡

 

ただし注目したいのは、中国の古典や戦略にも通じていた勉強家の曹操なら、これは「やってはいけない」パターンであると、わかっていたはずだという点。

 

「父のカタキ」という背景があったとはいえ、そんな曹操が虐殺事件を引き起こしてしまったのは、なぜだったのでしょう?

 

黄巾賊を率いて暴れまわる何儀(かぎ)

 

実はこの時期の曹操軍は、かつての黄巾賊(こうきんぞく)の生き残り30万人という破格の投降兵を抱え込んでいて、彼らの世話に困っていました。ここで、徐州大虐殺をやったのは曹操軍の精鋭部隊ではなく、この30万人の「黄巾賊の残党」ではないかと仮定すると、いかがでしょう。

 

黄巾賊

 

  • 曹操は30万人の流民の投降を受け入れた
  • 彼らの世話にほとほと困っていた
  • 陶謙に父が殺された
  • そのカタキ討ちの名目戦に、扱いに困っていた30万の黄巾残党を投入した
  • 統制が取れず、めちゃくちゃな破壊と虐殺が始まってしまった

 

なんと!

この仮説に立つと、項羽が「20万人も養えないから殺そう」と思ったのに対し、曹操は「30万人を養うためになんとかしよう」と工夫を凝らした思慮深いリーダーだったということになります。

 

曹操と黄巾賊

 

徐州で虐殺が起こってしまったのは、曹操自身にとっても計算外の事故だったのでは?

 

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まとめ:気になる人物は曹操よりも主体性がまるで見えない陶謙?

三国志を楽しく語るライターYASHIRO様

 

もしそうだとすると、曹操が徐州出身者からは恨まれても、その他の国の出身者からはそれほどこの事件について糾弾されていないことも頷けます。きっと徐州出身者と、それ以外の国の出身者の間では、この事件の評価に温度差があり、以下のような議論がなされていたのではないでしょうか?

 

徐州出身ではない人:

「あの虐殺は、曹操なりに流民に仕事を作ってやろうとした結果なんだよ。むしろ30万人の世話を見てやろうと曹操は努力してたんだよ」

 

徐州出身者:

「いや、そうだとしても結果として故郷を破壊されたオレたちの気は収まらない!」

 

三国志ライターYASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

徐州出身者の気持ちもわかりますし、なにがなんでも曹操の天下統一を阻もうと、魯粛たちに気合が入った背景も頷けます。それにしても、気になる点が、もうひとつ。

 

陶謙

 

隣国の曹操が30万人の流民軍という爆弾を抱え、戦争の口実を探しているというセンシティブな時期に、なんで陶謙の部下は曹操の父をいきなり殺したのでしょうか?

 

これについては、どうも送り込んだ部下が手違いで殺してしまった、つまりこれはこれで陶謙側の「事故」だったという説があります。

 

自称皇帝闕宣のイケイケ人生 陶謙、曹操

 

事故で曹操に口実を与えてしまった陶謙、事故で虐殺をもたらしてしまった曹操。

 

どちらが良いも悪いもない話ですが、曹操のほうは戦略の誤算がもたらした「失敗」であったのに対し、陶謙のほうは判断とか戦略とかすらもそもそも見えない、いってしまえば「ただの事故」でしかない感じです。率直なところ、ショボい印象です。

 

「父を殺された以上、カタキはとらねばならない」という立場に曹操を追い込んでしまったと解釈すれば、なおさらこの陶謙の「事故」の因果のほうが、最悪です。

 

曹操にしてみれば、「徐州の連中は、恨むなら、オレじゃなくて陶謙のマヌケさを恨めよ」と言いたいところかもしれません。冷たい言い方ですが、でも確かにこんなセリフ、曹操だったら、言いそうな。

 

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