益州の覇者・劉焉は劉備の為に益州を整備する天命だったのか?劉焉と不思議なお告げ

2022年6月16日


 

 

劉璋は覇者の器ではなかった

劉璋(りゅうしょう)

 

さてこの後、何とか生き残った息子の劉璋が後を継ぎますが、漢中で張魯が独立。取り込んだはずの五斗米道で地盤を固められるという事態に。果てに劉璋は人心を失い、ご存知の通り益州は劉備に奪われてしまいます。

 

劉備に降伏する劉璋

 

劉焉は益州で漢王朝から独立、一国一城の主を目指したのかもしれません。しかしその野心は果たされることはなく、後にやってきた劉備に全てを奪われてしまうというのは何とも皮肉なものですね。

 

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袁術祭り

 

 

 

劉備に皇帝への道を開いた皮肉な生涯

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

さて劉焉は益州で独立を目論んでいたと思います。それに対する行動は早く、考えていたことも間違いはなかったのでしょう。しかしたった一度、自ら離れたはずの中央に目を向けたばっかりに大切なものを失い、失意のままこの世を去りました。そしてその一族は益州で国とはなれず、後に劉備が蜀という国を作りました。

 

劉焉のその死因は病死です。決して劉備が討ち取ったから死に、蜀を奪われたのではありません。

 

漢中王になる劉備

 

しかし劉焉が基盤を築いていたからこそ、劉備は蜀の地で国を起こせたのだとも言えるのではないでしょうか。そう考えると直接関わり合いはないものの、劉備の道を拓いたのは劉焉……とも言えますね。歴史って、面白い。

 

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三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

さて最後にある出来事を振り返りましょう。劉焉は中央から逃げようとしていました。

 

そんな彼が益州に来たのは、たった一言。「益州に天子の気あり」この予言、決してよ迷い事ではないのです。だって後に益州には皇帝が生まれたのですから。しかしその皇帝は、決して天下を治めることはできなかったのです。天の意は、どこにあったのですかね?

 

センさんが三国志沼にドボン a

 

どぼーん。

 

参考文献:蜀書劉二牧伝

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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