益州の覇者・劉焉は劉備の為に益州を整備する天命だったのか?劉焉と不思議なお告げ

2022年6月16日


 

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蜀の皇帝に即位した劉備

 

劉備(りゅうび)が放浪の果てに蜀の地にたどり着き、そこで漢中(かんちゅうおう)を名乗ったのは皆さん記憶に新しいことでしょう。しかし劉備が何の苦労もなく蜀を手に入れた訳ではないように、(かつ)てはそこを治めていた人物たちだっていたのです。

 

そう、群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)の時代、蜀の地に夢を見た人物がいました。

 

劉焉

 

今回は益州にて群雄割拠の時代を生き、そして野心を持ち、そしてその野心半ばでこの世を去った人物。今回は劉焉(りゅうえん)についてのお話を致しましょう。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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劉備よりもプリンスな劉焉

劉邦

 

劉焉は江夏郡(こうかぐん)の出身ですが、その名前から察することができるように劉氏の一人、前漢の皇族、魯恭王劉余(ろきょうおうりゅうよ)の末裔なのです。つまり漢王朝の(かなり遠い)血縁者の一人で、この時代では後の劉備を見れば分かるように漢王室の関係者ということで、若くして出世して……行く途中でとんでもない事件が起こりました。

 

憤死する麋竺(モブ)

 

なんと劉焉のお師匠様が暗殺されたのです。恩師が亡くなった劉焉はこれを理由に職を辞して、喪に服していました。そしてその後、学問に打ち込んだことで有名になり、再び出世街道をランニングしていくことになります。

 

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三国志とりかへばや物語

 

 

 

皇帝が誕生するという不思議な予言を聞き益州へ

赤い光が天を二分する異常気象が発生し行幸を中止した霊帝

 

そんなこんなで中央政権に関わるようになっていく劉焉でしたが、本人は中央にいるのが嫌でした。折しも後漢末期、中央政権に関わっているとこの先ろくなことにならないのは目に見えていたのでしょう。

 

そこで地方の反乱を防ぐ、という名目で地方に行こうと画策します。ここである人物が劉焉に接近し、凄いことを言います。

 

 

「劉焉様、益州(えきしゅう)はどうですか?あそこには天子の気があります!」

 

この予言が影響したのかは分かりませんが、劉焉は益州に行くことを決意したのでした。

 

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激動の時代を生きた先人たちから学ぶ『ビジネス三国志

ビジネス三国志

 

 

劉焉が益州牧になり次々と誕生する群雄

三国志のモブ 反乱

 

実際にこの頃は地方は荒れ果て、暗殺が日常茶飯事と化していました。という訳で信頼できて有能な人物を派遣するというのは国として間違ってはいなかったのです。

 

朝まで三国志 劉虞

 

そして目論み通り劉焉は益州に、ついでに劉虞(りゅうぐ)幽州牧(ゆうしゅうぼく)に、劉表(りゅうひょう)荊州牧(けいしゅうぼく)に……と群雄割拠の時代の前日譚みたいな状態が生まれたのです。

 

敗北し倒れている兵士達a(モブ)

 

運の良いことに荒れ果てた益州では益州従事の賈龍(かりゅう)が賊軍を打ち破った直後であり、彼に迎え入れられたことで劉焉は益州の立て直しにすぐ取り掛かりました。

 

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一騎打ち

 

 

五斗米道を取り込み中央と益州のパイプを遮断

五斗米道の教祖・張魯

 

劉焉は善政を行う一方で、現地で人気のあった宗教、五斗米道(ごとべいどう)の一派を取り込もうとしました。ここで五斗米道のトップ張魯(ちょうろ)の母親が何度も劉焉の元に訪れたことで劉焉は張魯を重用することになったと言いますが……まあ深くは追求しないことにしましょ。

 

後漢王朝に見切りを付ける劉焉

 

とりあえず裏で五斗米道の取り込みに成功した劉焉。彼は漢中に張魯を送り、かの地を治めさせて、そこから朝廷の使者がやってこれないようにします。その一方で朝廷には「漢中の張魯が好き勝手しちゃって連絡がとれないんですぅ」と言っていたのですからこれは確信犯!

 

董卓

 

当時は朝廷方面も董卓(とうたく)が好き放題やっていた頃、劉焉は益州で権力を確固たるものとし、自らに逆らおうとする勢力は綺麗に始末。やりたい放題の劉焉を劉表が「あいつ車をめっちゃ作ってる!」と上奏したりしていますが、劉表も劉表で好き勝手をしてるから正に世は群雄割拠の時代だったのですね。

 

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長安を奪おうとして息子2人を失い意気消沈して死去

馬騰

 

劉焉は中央政権から逃げるように益州にやってきましたが、実はその一方で息子たちを中央に残してきていました。後にその一人である劉璋(りゅうしょう)が使者として訪れた際には益州に留めましたが、残る二人は中央に置いたままでした。

 

ヘソにろうそくを刺される董卓

 

そして董卓が暗殺され、馬騰(ばとう)長安(ちょうあん)攻めを計画、劉焉はこれに乗っかります。これが失策でした。

 

ハンセン病に侵された徳行者・冉伯牛 冉伯牛(モブ)(疫病)

 

計画は露呈、二人の息子は処刑されます。中央のごたごたに巻き込まれないように中央から離れたはずだったのに、よりによって中央に欲を出して計画に乗っかって二人の息子を失った劉焉は哀しみにくれました。

 

炎上する城a(モブ)

 

更に天からの怒りの如く落ちた雷が居城を焼き、大火災となって豪華な車たちは全焼。これが気への止めとなったのか、背中に腫瘍ができたことで亡くなったと言います。

 

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李傕・郭汜祭り

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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