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逆臣とは?主君に叛いて失敗し殺されたモノ
更にもういっちょ触れておきましょう。逆晋……ではなく、逆臣というものがあります。これはそのまま、反逆を行った臣下です。漢字の意味を取ると「逆らった人物」となるでしょうか。
これは簒奪者と何が違うかと言うと……ややこしいですが、成功したかどうか、です。奪うことなく処罰されたものはあくまで反逆者、として処理されます。
牙を剥くなら成功させなければいけない、そして成功してもその後に失敗すると簒奪者扱いとなる……中々に歴史の評価は厳しいですね。
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出世の為に皇太子の妃を父王に勧めた佞臣
最後に一人の奸臣……どちらかというと佞臣をご紹介しましょう。
費無忌という人物が春秋時代、楚の国にいました。ある時、秦のお姫様を太子に迎えることになったのですが、このお姫様がとても美人だったのです。
費無忌は楚の平王に取り入るために「お姫様はとても美人ですから王様が娶って、太子には別の女を宛がったら良いですよ!」と進言。この一件で平王に気に入られて出世したのですが、次の王様は太子、そうなれば恨まれている自分の身の終わりです。彼は太子を追放させ、その家臣・吾一族も皆殺しにしました。
後にその吾一族の生き残り、伍子胥は恨み重なる平王の遺体を墓から出して鞭打ち、死人に鞭打つ、という言葉が生まれ、国の衰退を恨んだ原因とされた費無忌は処刑されましたとさ。
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三国志ライター センのひとりごと
今回は筆者なりに奸臣、佞臣、酷吏などなどを解説してみました。皆様の参考になれば幸いです。余談ですが、主君の非や間違いを正そうと注意することを諫言といい、これを恐れず行う家臣を諫臣と言います。
そう、言葉にすると「奸臣」と「諫臣」は同じになるんですね。何だか不思議な面白さを感じた筆者でした。
参考文献:史記伍子胥列伝
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