三国志を読んでいると、良く分からない単語が出てくると思うことはありませんでしょうか。その中でも、良く似たような意味なのにどうにもその違いが分からない……そんな単語はありませんか?
実は筆者はとても良くあります。今回はそんな中でも「奸臣」「佞臣」「酷吏」について、筆者なりにまとめてご説明したいと思います。
この記事の目次
まとめると主君に叛き不正を放置し悪事をなす人々
さて奸臣、佞臣と呼ばれる者たちには前提条件があります。それはもちろん臣下の立場であった者、それらが主君に牙をむいた者であり、最終的に国を傾けてしまった者たちのことを奸臣、佞臣と呼びます。
多くの場合で政治能力に欠け、賄賂などを貰い、奸臣や佞臣たちは国を亡ぼす要因の一つ、というより国を滅ぼした張本人ともされます。そういった人たちが奸臣や佞臣と呼ばれるのです。
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簒奪者とは主君の地位を奪ったモノ
因みに臣下の者でありながら国を奪った者、有体に言うと王朝を挿げ替えした者は簒奪者、と呼ばれますが、この「簒奪」は悪意を持って呼ばれる言葉です。
例えば曹操や曹丕が漢王朝に対する簒奪者、司馬昭らが魏王朝に対する簒奪者、と呼ばれるのは悪意を持ってのことと言えます。
これは結果として魏も晋も、長く続かずに滅んだことが理由の一つでしょう。逆を言うと奪ったにも関わらず、その王朝が長く続けば「簒奪者」ではなく「新しく国を興した名君」になってしまうからですね。
奸臣とは才能はあれど悪賢く心が正しくないモノ
さて奸臣とは?
ぶっちゃけてしまうと、悪いことをする家臣のことです。そもそも「奸」という文字に正しいことを捻じ曲げる、という意味が有り、正しいことを捻じ曲げ、悪意を持って仕える家臣、という意味になります。
また「奸」という文字自体に「悪人」「悪賢い」という意味が有り、この文字自体が良くない意味を持ちます。中国史を見ているとこの「奸臣」と言われる人物が良く出てきており、彼らをまとめた伝記もあるくらいです。
この文字を使って呼ばれた有名な人物に「乱世の奸雄」と呼ばれた曹操がいますが、これは「乱世において悪知恵で英雄となった者」という意味であり、その前部分である「治世の能臣」と合わせると「治まった世の中なら有能な家臣、乱世ならばその悪賢さで英雄となる」という意味となり、曹操の優秀さを表すと共に、その悪辣さを表した一文とも読めますね。
ただし曹操が本当に悪人であるのかは後世において、様々な状況や能力を照らし合わせて議論され、また悪であっても魅力ある「ダークヒーロー」として描かれていることにも注目したい所です。
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佞臣とは自分に都合よく政治情報を操る人
では佞臣とは何でしょうか。この佞臣は奸臣とごっちゃにされやすいですが、奸臣との違いとして「自分の立場を利用して政治情報を良いように操ったとされる人」が佞臣に当たります。
これだけだとちょっと分かりにくいですが、この「佞」という文字には「弁論の才能はあるが、心の正しくない人」「へつらう人」……つまり「強者に媚びを売って舌先三寸で取り入る人」という意味になります。
これらをまとめると「権力のある人に媚びを売って取り入り、出世し、国の政を自分の良いようにしてしまう(そして国を潰す)家臣」のことを佞臣と呼ぶのです。三国志で言うならば黄皓などは佞臣の代表格でしょう。また十人ではないけれど十常侍もこれに当たると言えます。
勘違いされることがありますが宦官は佞臣、というのは彼らのイメージが強くなってしまった弊害ではないでしょうか。宦官にも立派な人は多いので勘違いしないで下さいね。
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酷吏とは法律を厳しく適用し反対派を逮捕するモノ
ここでもう一つ紹介したいのが酷吏です。呉の悪い意味で有名な呂壱事件、これに出てくる呂壱が酷吏です。呂壱は自分の立場と孫権の寵愛を良いことに、無実の罪や小さな罪でも呉の武将たちを糾弾し、私腹を肥やして最終的に裁かれました。
これだけ見ると佞臣や奸臣にも見えますが、呂壱のように「法律を自分の都合で厳しく利用した者」は酷吏と呼ばれます。これもまたカテゴリーが違うのですね。
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