募集期間:2021年6月(1週間)
勇将、知将、猛将……様々な英雄たちが出てくるのが三国志の面白い所。優秀な人物を召し抱えるのは当主としての彼岸、だから人材ハンターとかが生まれたんですね。
とは言え、優秀であっても不遇な人生を送った、不遇な目に合った武将たちも少なからずいるのが三国志。そこで今回皆さんに聞いてみたのは「名将だけど不遇な武将は?」
一体誰が選ばれてしまうのでしょうか?
陥陣営・高順
「高順に1票。呂布軍2枚看板の片割れは生き残って、三國志屈指の人気武将になってるのに。呂布に殉じたばっかりに知る人ぞ知る的な武将になっちゃった」
「陥陣営さんに一票陳宮とも仲が良くなかったとかwikiにあったけど、もしそうなら余計に気の毒に思えてきた」
引用元:はじめての三国志TV
陥陣営とは彼が攻撃した「陣営」は必ず「陥る」所から付けられた高順の呼び名。勇猛果敢、性格は清廉で義に厚く、道具の手入れも欠かさないという真面目な性格も合わさった優秀な武将でした。
しかし呂布は高順を段々と冷遇するようになり、働かせはするが大事にはしないと言った所に。
それでも呂布に最期まで付き従った高順は、正に不遇な扱いをされた名将の一人でしょう。
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「青びょうたんの曹だ!」徐栄
「創作上の悲惨な最期を考慮すると、何と言っても徐栄、呂布に頭を握り潰されるのは『有り得ない!』(蒼天航路)」
「徐栄は蒼天航路の強さにびっくりしたw」
引用元:はじめての三国志TV
徐栄は董卓配下の猛将であり、孫堅をあと一歩と言う所まで追い詰めました。そして曹操と対峙した時も曹操を危機に陥り、曹洪がいなければ後の曹操は無かったかもしれません。
数多の英雄たちの中でも孫堅、曹操をもう少しまで追い詰めた武勇の持ち主、それが徐栄です。余談ですが蒼天航路の徐栄、正に一騎当千と言わんばかりの活躍をして、心に響く名言も放つ名将。コメント通り最期はアレなのですが……ぜひご覧になってみて下さいね。
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用いられればどうなっていたか・田豊
「袁紹に意見を聞いて貰えなくて投獄されて死刑。※袁紹が田豊の意見通りにやったら曹操に勝ってたかも…」
「田豊と高順で悩んだけど讒言で投獄→斬首な田豊に1票」
「田豊かな?いっそ劉備に付いて行ってあげたら良かったのでは?」
引用元:はじめての三国志TV
田豊は袁紹軍の……コメントでは「田豊は武将なの?」というご意見もありましたが、まあ細かいことは良しとしましょう。戦うばかりが将ではないし、出撃経験もありますしね!
その袁紹ですが、今曹操を攻撃するべき!と言えば子供が病気だから……と拒否られ、いざ戦おうとする袁紹に持久戦を進言すると投獄される。果てには(逢紀の讒言アリ)敗北した袁紹から処刑されてしまうなど、不遇も不遇。曹操の「袁紹が田豊の策を採用していたらどうなっていたかわからない」という言葉にも、彼の運命の悲哀を感じさせます。
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晩年の悲運・于禁
「ゲームでは楽進と共にひどい扱いだったけど近年はかなり改善されたから多少報われたものの、呉への降伏が捕虜による兵糧の圧迫にあったとしたら玉砕より実りある戦果と言って良いのではないかと思う今日この頃」
「たった1回の敗北でそれまでの華麗な戦歴が評価されなくなって最期は誰も援護してくれない超悲惨すぎる于禁かな」
引用元:はじめての三国志TV
于禁と言えば曹操軍の名将。張遼、楽進、張コウ、徐晃そして朱霊と共に一巻にまとめられた魏の五将軍の一人です。規律に厳しく、このため下の者たちからも恐れられていたそうですが、曹操は常に冷静に行動する于禁を「古の名将に勝る」と絶賛したと言います。
しかし樊城での戦いでの天災からの行動不能、関羽への降伏が于禁の運命を大きく変えました。
曹操からはホウ徳と比べて嘆かれるわ、やっと帰れたと思えば曹丕からとんでもない屈辱を合わせられるわ……このためゲームなどでも扱いが悪かったのですが、近年では再評価がされてきていますね。正に悲運、と言わんばかりの運命を辿った武将です。
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その他
「真っ先に周瑜と思った」
引用元:はじめての三国志TV
さて、コメントを全文記載したいくらいだったのですが、敢えてここだけを抽出させて頂きました。コメント主さんは大変詳しく、周瑜伝の記載がないことから孫権の周瑜への冷遇を考察。
また周瑜伝に記載がある「周瑜は特に孫瑜(孫権の従兄弟)のことを信頼していた」ことにも言及しており、とても読み応えのあるコメントでした!今後もぜひ、止まらないなど言わずにどしどしコメントをよろしくお願いいたします!
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三国志ライター センのつぶやき
最期にこちらのコメントをご紹介させて頂きます。
「少々厳しいですが、この中に不遇な将はいないと思う。少なくとも彼らには自分が仕える主を選ぶ権利があった。曹操が張コウが官渡の戦いで降った時に言った「昔、伍子胥は早く悟らなかったため自ら身を危うくした。汝が降った事は微子が殷を去り韓信が漢に帰したようなものであろうか」と言った言葉がそれにあたります」
引用元:はじめての三国志TV
不運、不遇はあれど、それはその本人が選んだ道の結果である……と考えると、確かに厳しいご意見です。しかしコメントの通り、全ては彼らの選んだ道、と思うと、余りに「不運だ不運だ」と後世の私たちが声高に叫びすぎるのも失礼なのかもしれませんね。しかしそれで尚、悲哀と悲運を感じる武将の生き様もあり、苦々しくもあるのが三国志。
三国志、より好きになってしまいますね。どぼーん。
引用元:はじめての三国志TV
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