諸葛亮の妻である、黄夫人、良く呼ばれる名前である、黄月英とここでは呼びましょうか。彼女は聡明な女性であったにも拘らず容貌が醜い……父親談、という話が諸葛亮伝に乗っています。
しかし実は彼女は醜くなかった。というか美人だった。そういう説は色々とありますね。今回はこの黄月英美人説の一つを、ちょっと考察してみたいと思います。
黄月英の不細工具合は歌にまでされた
さてさて諸葛亮伝には黄月英の父親、黄承彦が諸葛亮の元を訪れ、娘と結婚しない?と縁談を持ち掛け、諸葛亮もそれを承諾したという話が載っています。
更に言うとこのエピソード、地元で「孔明の嫁選びを真似するな」という歌が作られたとか言われるほど。理由は不美人な嫁を押し付けられるぞ、ということらしく、何ともひどいエピソードですね。
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父親談
ここでお父さんの黄承彦が、娘の容貌に付いてどう述べているのかのご紹介です。蜀書諸葛亮伝が注釈に引く襄陽記には、このように乗っています。
「黃頭黑色」
黄色の頭に、黒い色。つまり金髪に肌は色黒だった、ということでしょうかね。因みに「黄月英の髪は赤毛」というものがありますが、この金髪が当時は赤く見えていた、と言う所から来ているようです。
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黄月英の説色々
この不美人説に対して、黄月英は幾つかの「本当は美人だった」説も持っています。まずは「美人だったけどそれを隠すために隠していた」説。これは涼州の王異などがやっていた説もありますね。
同時にあるのが「インド系のエキゾチック美女だった」という説。つまり黄月英は異国の血を引いていた説、そもそも黄承彦の養女だった説もあります。
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黄月英の不美人説のポイント
さてここで今回注目したのが「黄月英は赤毛(もしくは金髪)で色黒であり、これは当時の美的感覚から外れていたため、不美人として扱われた」という説です。
これは現代と過去の容貌に付いて語る時にありがちですが、時代が変化するにつれて容貌の美醜は変化します。言い方を変えると当時の流行りからは外れていた、ということです。なぜなら、とある詩からそれが推測できるからなのです。
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洛神の賦
皆様、洛神の賦はご存知でしょうか。曹丕の弟、曹植が詠んだという詩ですね。この詩に付いても色々波紋を呼びますが、今回はその歌に出てくる美しい女神に付いて。
さて女神は腰が括れているとか目がぱっちりとか肉付き太くも細くもなく……と色々出てきますが、注目ポイント!「その真白な肌は目映いばかり」そう、当時の美女の条件に「肌が白い」は絶対条件であったのです(たぶん)!
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