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儒教の教え
ここで当時の儒教の教えをご紹介します。儒教には「三従七去」という教えがあります。三従は女性が従うべき三つのもの、幼い頃は父親、嫁げば夫、老いては子に従うという教えです。
対して七去とは夫に離縁される女性の教えといいますか、嫉妬深い、夫の親を敬わない、子供がない、貞節さに欠ける、病気、窃盗癖を持つ、弁が経ちすぎる……こういう女性は夫が離縁しても仕方ないぞ、という教えです。現代から見るととんでもないものもありますが、当時としてはこういう価値観だったのです。
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当時の女性
この教えに従うとなると、貞節で慎み深く、夫の親類を大事にする女性が女性としての理想であった、というか、そうであれ、と教えられていた、というのが一般的だったでしょう。そして羅貫中先生自体も、その思想であったことでしょう。
このため三国志平話では呂布の妻であった貂蝉は不貞を犯さないために他人とされ、馬超と戦った王異の出番はだいぶカットされる方向になったとなれば納得もできるかと思います。
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祝融夫人は?
では祝融夫人は?というので、思い出して欲しいのが南蛮と言う場所は三国志演義ではかなり未開の地です。そして慣習に倣っている呼び名で祝融夫人は呼ばれていません。
つまり、言い方は悪いですが未開の地の異民族、の象徴として祝融夫人は登場したのではないかと思うのです。男勝りで武将たちすら手玉に取る、現代から見るとカッコいい女性ですが、もしかしたら当時としては
「女性としてみっともない」なんて役所だったのかも……なんて思うと、歴史の妙、を感じてしまいますね。
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三国志ライター センのひとりごと
もっと言ってしまうと、祝融夫人は最後は諸葛亮に捕まって臣従しますからね。言い方が悪いですが、結局は南蛮は諸葛亮の活躍の場所なのです。
とは言っても、時代が過ぎれば祝融夫人は三国志演義では珍しい女性武将、男顔負けの強さで戦い、勇ましいけれど夫の孟獲をとても愛している女性……という風に描かれたりもします。これもまた歴史の面白さ、と考える筆者でした。
どぼーん。
参考文献:三国志演義
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