陸遜の上奏
ではまず陸遜の上奏から。皇太子である孫和と魯王である孫覇、彼らとその周辺の軋轢が広まる中、陸遜は孫権に上奏文を提出しました。簡単に言うと「正当な後継者がいるんだから、それをはっきりと態度にしないとみんな不安になります」というものです。
……ちょっと臣下が君主を咎める内容として、ストレートすぎる気がしますね。
尚、更にこれを陸遜は何度も繰り返し孫権に上奏しています。まあさっさと行動に移さない孫権もよろしくないですが、それはそれとして陸遜もちょっとしつこくないかな……?
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孫権ブチ切れか?
そして孫権が中々行動に移さない……と業を煮やしたのか、陸遜は次の行動に出ます。
「手紙では分かってくれないみたいですから、直接お話しましょう」言いたいことは分かるのですが、この当時、両名既に60オーバー。わがままな子に言い聞かせるのではないのですから、この物言いは問題があると言えるでしょう。
これと共に出された陸遜の帰国許可申請は却下、果てに、前述したように陸遜の親類が左遷、つまり流刑に処されます。追いうちのように「陸遜の疑惑」が提出され、孫権からの逆詰問にあった陸遜は憤死……という流れですね。
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陸遜の物言いが死因?
さて、述べたように陸遜の物言いはストレートが過ぎます。主君であっても臆することなくはっきりと言う、というのは個人的には好ましいのですが、よくよく振り返ってみるとこれはアウトな気もしてきました。
しかも相手はいい年に到達している孫権です。少し踏み込み過ぎた物言いと言えるのではないでしょうか。二宮の変は後継者問題であり、そもそもは孫権がはっきりとした態度を取らなかったから起こった事件であり、陸遜自体は巻き込まれた形で亡くなりました。
しかし、もう少し陸遜もここで孫権に対する振る舞いができていれば……どうなったでしょうか。陸遜は被害者でもありますが……振り返ってみると、もう少し上手な対応が取れなかったものか、ふとそんなことを考えた筆者でした。
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三国志ライター センのひとりごと
孫権に良く物事を言い聞かせることで有名な人物と言えば呉の虎、諸葛瑾ですが。そもそも諸葛瑾は「孫権の性格を良く理解していて」「物事を直接咎めるのではなく諭すように」進言したことで、孫権から絶大な信頼を得ていたと言います。
その件を踏まえて考えてみると、もしかして陸遜と孫権、そもそも相性がよろしくなかったのかもしれない……まぁ晩年の陸遜も割とズバズバ言うしな……と、陸遜の性格にも一考の余地あり、と思った次第であります。
どぼん。
参考文献:呉書陸遜伝
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