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後から悔やむ
その後、曹丕は夏侯尚の有り様を見てか後悔するようになります。元通り厚遇しようとするのですが、既にことは起こった後。夏侯尚の病は治るどころか悪化し、都に帰還。
曹丕は何度も夏侯尚を見舞っては、手を取って涙を流したと言われています。しかし夏侯尚はそのまま亡くなり、悲嘆した曹丕は詔勅を出して夏侯尚の死を惜しみました。
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夏侯尚の死が……
さて心を病んで、そのまま夏侯尚は立ち直ることなく亡くなりました。その後を継いだのは夏侯尚の息子にして、曹真の甥、夏侯玄です。が、ここでもう一つ。225年に仮節、撫軍大将軍、録尚書事に叙せられた司馬懿が、五千人の兵権を与えられたのですが、この兵権が実は夏侯尚が亡くなったために与えられたというのです。
この辺りから司馬一族の権力が高まっていくのですが、その理由の一つにこの夏侯尚の死があった可能性があるのですね。
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後の実権、司馬氏の台頭
後に司馬懿、というか司馬一族が魏の実権を握っていく布石はもしかしたら夏侯尚の死から始まっていた可能性もあります。
その後、曹丕が崩御、頼りの曹真も亡くなり、よりによってその後を継いだ曹爽がやらかすので、その司馬氏の立場は魏に置いて揺るぎないものとなってしまうのですが……もし、まだここで夏侯尚が生きていたら?
とは言っても、下手をすると夏侯尚の行動で夏侯家と曹家の仲が悪化していた可能性もありますし、中々政治と言うのは難しいものです。どちらかと言うと夏侯尚がもう少し己の行動を鑑みるか、精神的に強ければ……何か変化があったかもしれませんね。
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三国志ライター センのひとりごと
時代背景を考えると、別に愛妾を持つことはおかしなものではありません。正室を省みず、愛妾に入れ込むというのも珍しいことではないのです。ただ、時期と立場を考えると、夏侯尚の行動は目を瞑れるものではなかったと思われます。
夏侯尚のはっきりした年齢は分かってはいませんが、曹丕らの年齢から考えるともしかしたら老いらくの恋、だったのかもしれません。その恋一つで色々なものが変わってしまった、そう考えると……何とももの悲しいものに見えてきますね。
ちゃぽーん。
参考文献:魏書夏侯尚伝 文帝記 魏書 蜀書劉封伝
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