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閻象はどこへ行った?
ここで少し不思議なのが、閻象の存在です。正直な話、この合間の二年間で何が変わったということはありません。
ちょっと言うなら献帝が曹操に保護されてしまい、しかも曹操は呂布を追っ払って南下し始めてきているということです。
つまり袁術様大変ピンチ!
なので何とか打開しようという気持ちは分かりますが、どうしてそこで皇帝を名乗ってしまったのか、しかも漢王朝に喧嘩を売る形にしてしまったのか、これは誰にも分かりません。そしてこの時、嘗て袁術を引き留めた閻象は、何処へ行ってしまったのか?
考えられる道は二つです。
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case.1「御止めできなかったか」
一つは、袁術をやはり止めようとして、今度は袁術の不興を買って殺された可能性。
これは三国志演義ですが、三国志演義でも袁術の皇帝自称を閻象は止める役回りで出てきます。ですが三国志演義では袁術はこの時、閻象に激怒。余計なことを言うと切り捨ててしまうぞ!と閻象を脅し、退けてしまいます。
ここでは退けるで終わりますが、実は勢いのまま殺してしまった……というのは可能性としてあるのではないでしょうか。耳障りなことを言う配下は遠ざける、落ち目の主によくあることですね。
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case.2 閻象「もう付き合ってられんわ」
そしてもう一つ、袁術に見切りをつけて出奔した可能性。
これは当時の周瑜と袁術の関係ですが、袁術は優秀と評判の周瑜に目を付け、配下として迎え入れようとします。しかし、周瑜は袁術に見切りをつけていました。このために周瑜は袁術の下から離れ、198年に呉に亡命しています。
同じように閻象も袁術に見切りをつけて、別の道を選んでいたという可能性はあるでしょう。ですが周瑜とは違い、閻象はそれ以降に姿を見せません。歴史に埋もれたのか、それとも……面白そうな人物だったのに、惜しいことですね。
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三国志ライター センのひとりごと
個人的な好みだけで話すと、閻象は袁術に見切りは付けても、他の誰かに仕えたりはしなかった……というのが良いですね。不興を買ってでも袁術を止めたのは閻象だけ、となれば、相応の忠義心があったからのことでしょう。
そうなると例え袁術に見切りをつけていたとしても、己が止められなかった不徳を恥じ、世を捨てた……となると、少々閻象を美化しすぎでしょうか?
個人的にはここだけでなく、これ以降も見てみたかった人物ですね、閻象は。
ちゃぽーん。
参考文献:後漢書袁術伝 三国志魏書袁術伝
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