諸葛亮が考案したものは?と聞かれて何を思い浮かべるでしょうか。
木牛、流馬などは序の口だと思いますが、実はあまり知られていない発明品も多数存在します。そこで今回は諸葛亮が考案したと言われているものをフィクションも含めて11個紹介していきます。
全てが分かった方は相当な諸葛亮マニアです。
この記事の目次
諸葛亮が発明した木牛・流馬
北伐の食料運搬の問題を解消するために開発されたのが、木牛と流馬という2種類の運搬器具です。「諸葛亮集」という書物の中に詳細が記載されていますが、内容が複雑であることからその全容は明らかになっていません。
益州の山路を超えるために一輪車のような手押し車を作ったとされる説が濃厚です。ただ、漢代にはすでに「鹿車」と呼ばれる一輪車が存在していたので、諸葛亮はこれに改良を加えたとも考えられています。
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諸葛亮が改良した八陣図
八陣図は三国時代以前からあった陣立てを諸葛亮が改良したものです。どんな陣形だったのかは分かりませんが、正史の諸葛亮伝に一部記載がある他、晋書の馬隆伝や桓温伝にも名前が記されています。
唐代に活躍した李靖の六花の陣は八陣図をもとに考案されたとも言われていますし、三国志演義では八門金鎖の陣や石兵八陣としても登場します。
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諸葛亮が改良した元戎(連弩)
元戎、または諸葛連弩、損益連弩とも呼ばれる兵器も諸葛亮が考案したと言われています。
戦国時代から弩(クロスボウ)という兵器が使用されるようになり、一時は複数人で使用する大型の床弩という兵器も開発されました。ただ、小回りが効かないことから小型が進められ、連射が可能な連弩が生まれます。
しかし、この当時の連弩は威力が低く実戦的ではありませんでしたが、諸葛亮の改良によって一度に10発の矢を放てるようになり、威力や殺傷能力も実戦投入が可能な水準に達したそうです。
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諸葛亮が改良した孔明鎖
これは組み木細工のように釘や留め金などを使わずに組む、立体パズルのようなオモチャです。こちらは典拠などが見当たらないので、後世の創作の可能性が高く、さらに同じようなオモチャで魯班鎖というものもあります。これは春秋時代に魯の工匠であった公輸盤(魯班とも呼ばれる)が発明したものです。
孔明鎖とは形が異なるものの九連環(チャイニーズリング)と呼ばれるおもちゃもあり、こちらは諸葛亮が妻の退屈を凌ぐために作ったという逸話が残っています。
諸葛亮が発明した孔明棋
これは中国式の将棋とも似ているパズル状のおもちゃで、西洋ではペグ・ソリテールやペグソリティアと呼ばれています。こちらも民間伝承で伝えられているので事実ではない可能性が高いですが、もともとは諸葛亮が兵士の退屈しのぎや士気を高める目的で考案した一人で遊べるゲームです。
それが日本や欧米へと流れていき海外で普及したと言われています。日本では明治時代の書物で紹介されているので比較的近代に伝わったようですが、フランスなどでは17世紀頃から遊ばれていました。
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諸葛亮が発明した木獣(虎戦車)
これは三国演義において諸葛亮が南征をした際に登場する兵器です。兵士が中に入って移動し、火を吹いて攻撃をします。また、考案したのは諸葛亮ではなく、その妻だったとも言われていますが、いずれにしてもこれは完全にフィクションです。
三国時代の技術では火を正確にコントロールして吹き付けるようなことはできず、逆に木でできた本体が燃えてしまうリスクがあります。
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