この記事の目次
諸葛亮が発明した搭橋槍
これは実態が分かっていないものの、渡河の際に使用していた兵器です。益州は山だけでなく河川も多いことから北伐の際にはたびたび河川を渡らなければいけませんでした。その際に行軍速度が落ちてしまうことから考案されたと言います。
搭橋槍に関する記載があるのは慧皎という僧侶が記した「高僧伝」という書物のみです。なので、実際に作られたものなのか、そしてどのように使われていたのかは疑問が残ります。
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諸葛亮が発明した地雷
こちらも三国演義に登場する兵器で、実際は諸葛亮が考案したものではありません。中国史において地雷が使用されたのは火薬が発明された宋代と言われていて、蒙古族が攻めてきた際に使用したと言われています。
また、宋代の地雷は火薬を使ったもので、木箱などに入れるなどして周囲のものを吹き飛ばすことで間接的に被害を与えていました。明代になると爆薬が使用されるようになり、直接人体に被害を与える方式に変化しています。
三国演義では南征の際と第五次北伐の際に使用していますが、いずれも可燃物に引火させるなど間接的な使用をしていることから、宋代の地雷が三国演義の中にも取り入れられたと考えられます。
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諸葛亮が発明した孔明灯
これは天燈やスカイランタンと呼ばれるもので、現在では元宵節などの節句の際に飛ばす儀式の道具です。史書には諸葛亮が考案した旨の記載は見当たりませんが、
諸葛亮が司馬懿の軍勢に包囲された際に天燈を飛ばして救援要請をしたという伝承が残っています。他にも天燈の形が諸葛亮のかぶっていたとされる帽子に似ているからなど諸説ありますが、いずれも信憑性は低いです。
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諸葛亮が発明した饅頭
饅頭は日本のものとは少し違い、肉まんに近いものです。これも三国演義の中で諸葛亮が考案したものとして描かれていますが、同様の話が元代に書かれたとされる「誠斎雑記」、「説郛」の中にも登場するので、これらが三国演義の中に取り入れられたものと考えられます。
ちなみに漢代にはすでに小麦粉で練ったものを蒸した食べ物が広まっていました。ただ、中の餡が入っておらず、北宋時代になってから餡の入った饅頭が生まれています。
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諸葛亮が発明した馬用マキビシ
これは忍者が使うマキビシを少し大きく、トゲの部分を長くしたものと推測され、騎兵対策として活用されたと言われています。諸葛亮が北伐に際して、自軍には騎兵が少なく、魏軍の騎兵が精強であることから、主に突撃や追撃を防ぐ手段として用いられたそうです。
史書には記載が見られないものの定軍山にある武侯坪(諸葛亮を祀っている)一帯から鉄製の刀などと一緒に出土しています。恐らく、ここから派生して諸葛亮の考案したものという伝承が広まったものと考えられます。
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三国志ライターTKのひとりごと
今回紹介した発明品をいくつ知っていたでしょうか?
この他にも諸葛亮が考案したとされるものはいくつかあります。どれも信憑性が低く、情報も少なかったので割愛しましたが、実際に考案した可能性が高い木牛・流馬、八陣図、元戎だけでも発明能力の高さが十分に伝わります。
劉備に仕官していなかったら発明家として名を残したのかもしれませんね。
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