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忠義の張勲は生き延びて袁術サマと合流
さてさて主は帰ってしまいましたが、自分たちはそうはいきません。相対するはそうそうたる(※シャレではない)面子の曹操軍。張勲、橋ズイらは奮戦するも、相手が悪すぎた。
ここで橋ズイや李豊らは曹操軍に討ち取られてしまいます。相手が相手なので、仕方のないことと言えるかもしれません。しかし張勲はここで死ぬことはなく、何とか生き延びて袁術の元に戻ることができたのです。
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袁術サマの死後、劉勲に捕らえられ消息不明に
多方面に破れに敗れた袁術軍。最早立て直すだけの力はなく、自領は壊滅状態。最終的に袁術は慟哭しながらこの世を去ります。そうして袁術が亡くなり、袁家が崩壊すると、流石に張勲も身の振り方を考えたのでしょう。
ここで張勲が行こうとしたのが、孫策の元です。しかし運が尽きたのか、張勲はその道中で劉勲に捕らえられ、その後の消息は不明となります。
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実は孫策と交流があった張勲の将来
さて実は孫策がまだ袁術の庇護下にあった時のこと、まだ若い孫策を張勲はとても評価していたと言います。このため張勲は孫策と友誼を結ぶことを望み、また結んでいたためにその縁を頼って袁術死後、孫策の元に身を寄せようとしました。
立場や経緯は違いますが、もしかしたら呂範のように、孫策の元で活躍する未来もあったのかもしれませんね。
どういう経緯で友誼を結んだかは定かではありませんが、そういう運命がもしかしたらあったかも……と考えると、張勲はもっと活躍の場があった武将なのかもしれません。
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三国志ライター センのひとりごと
正史を追っていても、どうにも張勲の活躍はパッとしません。袁術が大将軍に任命したとまで言われているのに、呂布に敗れ、曹操に敗れ、最終的に生き延びるも劉勲に捕まってその後は不明。しかし孫策との友誼、と言われると、どうにか別の道もあったのかな、と思わせる武将でした。
こう言ってしまうと仕えた主が悪かったと言いたいのか……と思われてしまうかもしれませんが、だいぶ詰んでいますからね、この時期の袁術様……どうにか他のルートも見てみたかった、そう思った筆者でした。
どぷり。
参考文献:後漢書袁術伝 三国志魏書袁術伝 呉書孫策伝
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