そして三国志を終焉に導いた晋王朝の基礎を築いた司馬懿。
諸葛亮と司馬懿は何度も戦場で対決していますが、諸葛亮が先に死んでしまった為、決着をつけることができませんでした。では諸葛亮と司馬懿一体どちらが優れているのでしょうか。正史三国志などの資料から二人の優劣を決めてみたいと思います。
諸葛亮の得意分野とは!?
諸葛亮と司馬懿のどちらが優れているのか紹介する前に二人の得意な分野を紹介していきましょう。まずは諸葛亮からです。諸葛亮の得意分野はいったい何なのか。
それは政治と外交です。諸葛亮は劉備の死後、劉禅が皇帝になると蜀の丞相へ就任。諸葛亮は蜀の丞相へ就任すると、蜀の内政をすべて任されることになります。
蜀は劉備が夷陵の戦いで敗北したため、国力が大きく減少。そのため諸葛亮は夷陵の戦いで減少した蜀の国力を復興さるため、塩や鉄が生産される山を開発。
また諸葛亮は蜀の特産品になっている錦の生産を奨励し、利益を挙げていきます。
更に諸葛亮は劉備死後、反乱を起こした南中の異民族の討伐を行い、南中に住んでいる住民を益州へ移住させて人口の増加を図ります。このように諸葛亮は減退した蜀の内政を整頓しつつ、国力の増加政策を次々と行う事で、夷陵の戦いですり減った蜀の国力を増加させることに成功。
上記の事から諸葛亮は国の内政を行わせることに優れた能力を発揮した人物でした。次に諸葛亮の得意分野の一つ、外交について紹介したいと思います。
諸葛亮の得意分野その2:外交面
諸葛亮の得意分野の一つである内政面については紹介しました。ここでは諸葛亮の得意分野その2として、外交面について紹介したいと思います。
劉備は孫呉と同盟することで三国の一つである蜀を建国することが出来ました。劉備の勢力が孫呉と同盟したのは赤壁の戦いが始める前です。
当時の劉備勢力は曹操軍にボコボコにされて敗走し、一定の土地をもっていない流浪の勢力でした。対する孫呉は劉備と同盟した当時、江東一帯を保有してる大勢力でした。
史実ですと孫呉と劉備は同盟を締結して、赤壁の戦いで曹操軍を打ち破ることに成功します。しかし劉備は自分の勢力とかけ離れて強大な孫呉と同盟をできたのか。それは諸葛亮のおかげです。
諸葛亮は単身孫呉の元へ赴いて、荊州まで遠征してきた曹操軍の勢力を分析し、孫権を説得して曹操と戦う決断を促すことに成功します。このように諸葛亮は外交面においても実績を残していた人物でした。では司馬懿はいったい何が得意なのでしょうか。
司馬懿の得意な事その1:戦術面
司馬懿の得意な事とは一体何なのでしょうか。それは戦術と謀略面において優れていた人物でした。ここでは司馬懿の戦術において紹介したいと思います。
司馬懿は諸葛亮と何度も北伐戦でぶつかりますが、勝利を得ることなく引き分けに持ち込んでいました。司馬懿は諸葛亮率いる蜀軍へ戦いを挑んで勝つのではなく、蜀軍の弱点をつかんで持久戦に持ち込む事で勝利を得ていました。では蜀軍の弱点とは一体何なのでしょうか。それは兵糧です。
司馬懿は蜀軍が益州本国から輸送できる兵糧数が少ない事を把握し、あえて蜀軍と戦うことをしない戦術を行います。その結果司馬懿は第五次北伐戦で諸葛亮と戦う事をしないで、砦を築いて持久戦を取った事で諸葛亮に勝利。
司馬懿は諸葛亮との戦いでは地味な持久戦をしていますが、諸葛亮との戦い以外では積極的に攻撃を行っています。
例えば、司馬懿は魏から独立した公孫淵を討伐する戦を任されることになります。
司馬懿は公孫淵討伐戦においては、諸葛亮と戦ったような持久戦を取らないで積極的に攻撃を行い、公孫淵を短期間で滅亡させてしまうのでした。
このように司馬懿は戦術面において優れた能力を発揮した人物でした。では次に司馬懿の得意な謀略について紹介したいと思います。
司馬懿の謀略とは?
司馬懿の得意な謀略についてここでは紹介していきたいと思います。司馬懿は明帝・曹叡死後、曹芳が皇帝になると皇族の一人・曹爽と一緒に曹芳を盛り立てていくことになります。
司馬懿は曹芳の時代、曹操、曹丕、曹叡三代の君主に仕えて実績を残していた事から、君主権力を上回る権力を持っていました。曹爽は司馬懿から力をそぎ落とし、君主に権力を集中させる「中央集権制」を目指します。
こうして司馬懿と曹爽は政権の運営方法の違いで対立していくことになります。司馬懿は曹爽の「中央集権制」の計画を成立させないため、魏の名士勢力を集め、自らの権力を強化することに注力していきます。その後司馬懿は曹爽を油断させるため、政界から引退することを表明。
曹爽は司馬懿が政界引退した後、彼の様子が気になったので、曹爽派の李勝を司馬懿の元へ向かわせて司馬懿の様子をうかがうことにします。司馬懿は曹爽派の李勝がやってきたことを知ると芝居を打って耄碌ジジイを装います。
李勝は司馬懿が耄碌している様子を曹爽へ報告。曹爽は司馬懿が耄碌している事に油断し、弟と一緒に皇帝とお墓参りへ向かいます。
司馬懿は曹爽兄弟が皇帝と一緒に墓参りに行ったことを知るとすぐに耄碌ジジイの芝居をやめて、洛陽城の城門を閉鎖し、曹爽兄弟の官職を解任。その後司馬懿は洛陽に駐屯していた兵士をゲットすると、帰ってきた曹爽兄弟を幽閉して殺害してしまうのでした。
こうして司馬懿は曹爽兄弟を殺害した後、魏の権力を握ることになり、魏の最高権力者として君臨することになり、晋王朝の礎を築くことになります。このように司馬懿は謀略面においてもすぐれた力を発揮しています。
さて内政と外交に優れた諸葛亮と戦術・軍事に優れた司馬懿。一体どちらが優れているのでしょうか。
史実通りならば司馬懿!!
三国志の時代は国が統一されていなくて、国境で頻繁に戦が起きていた時代でした。そのため史実であれば、軍事と謀略に優れている司馬懿が国家にとっても必要で、諸葛亮よりも優れていると思います。
三国志ライター黒田レンの独り言
今回は諸葛亮と司馬懿のどちらが優れているのかを紹介しました。
ここではレンの妄想で、戦術面と謀略面に優れた能力を発揮した司馬懿に軍配を挙げました。
しかしもしも魏延と諸葛亮の間柄が良好で、諸葛亮が魏延に軍事全般を任せていれば、諸葛亮の内政と外交の才能はかなり重宝されていたと思います。また中華を統一した国家の草創期や安定期であれば、諸葛亮の才能は真価を発揮したのではないでしょうか。
皆様も今回レンが紹介したように諸葛亮と司馬懿の優れている所を比較してどっちが優れているのか考えてみるのも新しい三国志の楽しみ方ではないでしょうか。
■参考 正史三国志蜀書など
▼こちらもどうぞ
諸葛亮がもし延命していたら三国志はどうなる?第五次北伐後の孔明の戦略