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三国志の[将軍たち]はどう家族を守ったのか?

2024年7月13日


曹操

 

華々しく活躍した三国時代の武将たちにも、私たちと同じように家族がありました。いつ命を落としてもおかしくない状況にある彼らの頭の片隅には、常に愛する家族のことがあったでしょう。

 

安史の乱によって家族と離れなければならなかった詩聖・杜甫(とほ)も「家書万金に抵(あた)る(家族からの手紙は大金に相当する)」と詠っているくらいですから、三国時代に命をかけて戦った武将たちにとって家族との再会の瞬間にはどれほどの価値があったことでしょう。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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家族と一緒に住めない武将たち

曹操

 

しかし、長い戦が終わっても、三国時代の武将たちは家族と一緒に暮らすことはできませんでした。武将たちは城内に建てられた長屋の一室にそれぞれ住まわされていたようです

 

前漢時代の未央宮の遺跡にも、たくさんの部屋に仕切られた長屋のような建物の跡があり、三国時代の武将たちの宿舎もおそらくこれと同じような造りだったと考えられます。武将たちは仕事を終えると男たちがひしめき合うように住んでいる長屋の一室に帰り、先に眠りについたであろう同僚のいびきを聞きながら一人寂しく床に就く…。妻子がいるのに学生寮のようなところに住まなければならないなんて、いたたまれないですよね。

 

 

家に帰ることができるのは5日に1日…髪の毛を洗うため

曹操

 

それでも、5日のうち1日は家に帰ることができました。意外と良心的なのでは?と思った方もいるかもしれません。しかし、それは休暇というにはほど遠いものでした。この5日に1度の帰省は、あくまで髪を洗うためのものだったのです。

 

漢代に儒教が国教とされて以来、人々には髪を切るという習慣がありませんでした。そのため、当時の中国人は何十年も髪を伸ばしっぱなしです。何メートル…いや、もしかしたら十数メートルにまで伸びた髪を洗う労力は想像を絶するものでしょう。家族総出で一家の大黒柱の髪を洗っていたのかもしれません。

 

そして、苦労して髪を洗い終わっても、その髪を乾かすのはさらに大変です。当時はドライヤーも何もありませんから、せいぜい布で水分を取るくらいで、基本は自然乾燥。もしこの日の天気が雨だったら、一日あっても乾ききらないでしょう…。久しぶりに会えたお父様と武道の稽古!…なんてことはなかなかできなかったでしょうね…。

 

 

多くの功績を残していても、特別扱いはない

 

どれほど功績があっても、すべての武将がこの規則に縛られていたようです

 

郭嘉

 

魏の曹操(そうそう)のお気に入りであった郭嘉(かくか)程昱(ていいく)といった名のある軍師たちや、曹操の右腕ともいえる夏侯惇(かこうとん)、合肥の戦いで名高い張遼(ちょうりょう)といった、数々の武功をあげた武将たちも、特別扱いなどありませんでした。

 

桃園の誓いをする劉備、張飛、関羽

 

これは蜀の劉備(りゅうび)の義兄弟である関羽(かんう)張飛(ちょうひ)、『三国志』随一の軍師である諸葛亮(しょかつりょう)、呉の智将・周瑜(しゅうゆ)魯粛(ろしゅく)らも例外ではありません。むしろ、力がある武将や軍師ほど有事のときのために、主君のそばにいなければならなかったのでしょう。戦場で華々しく活躍していた武将たちも、家族のことを想いながら寂しい夜を過ごしていたのかもしれませんね。

 

 

裏切らないのは家族のため

龐徳

 

また、戦のために遠征する際に家族を戦地に一緒に連れていくのもご法度。戦地に家族を連れていくなんて、わざわざ禁止にしなくても当然そんなことをする人はいないだろうと思いますよね。しかし、家族全員で敵国に亡命しようと考える者がいたとしたら…?国に家族を残すことを規則として定めておけば、このような不届き者が現れることはないでしょう。

 

もし戦場で窮地に陥っても、国に置いてきた家族のことを思って簡単に寝返ることはできないはず。もし自分が寝返ってしまえば、残された家族は全員処刑されてしまいます。儒教を信奉する当時の人々にとって、一族を途絶えさせることは最大の不孝。「ニ君には仕えず!」と叫んで散っていった武将たちも、心の奥底では一族の末永い繁栄を祈っていたのかもしれません。自分の命だけではなく、家族の命まで背負いながらその身の振り方を考えなければならなかった武将たち…。三国時代の武将たちは、私たちには想像できないほどの苦難の日々を過ごしながら命を燃やしていたのでしょうね。

 

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