今回はズバリ「三国志で最後に勝ったのは一体どの国か?」というお話です。もしかしたら三国志を良く知らない方は「え?最後に勝った国の名前を挙げるだけなのにそんなに難しいのか?」と思われるかもしれません。
知っている方からすれば「いやいや知ってるから今更だよ」と思われるかもしれません。しかしこの「三国志で最後に勝ったのは一体どの国か」実は非常に複雑怪奇な問題となるのでございます。ここではそれをじっくりと解説していきたいと思います。
この記事の目次
三国志ってどこからどこまでが三国時代なの?
まず歴史的な時代の確認ですが「三国志」、通称三国時代より前の時代が漢です。これも前漢、後漢とあって正確にすると後漢、となりますが、ここでは漢、と呼びましょう。
そして三国時代の次の時代が、晋です。この晋も西晋東晋とあってややこしく、正確には西晋となりますが、ここでは晋とします。この間の三国時代が三国志の舞台なのですが、ここが激しくややこしい。何故なら「三国」が揃った時代、を三国時代、と定義すると、皆様が想像する三国志の時代とは少々食い違いが出てくるからです。
三国が揃った時代は既に末期?
では三国時代を三国が揃った時代、と考えると一般的に呼ばれる三国、曹魏、蜀漢、孫呉という国が成立した時代が挙げられます。
まず曹魏は漢王室から(思惑はどうあれ)正式に禅譲され、曹魏という国ができ上りました。この年が220年です。
その後、蜀の地を治める劉備が漢中で漢中王を名乗り、皇帝となって蜀漢が興りました。この年、221年。
その後、更に呉の孫権が皇帝となり、孫呉が興ります。それが229年……ですが、魏から呉が独立した222年を呉の始まりとする場合もありね。なので三国が揃った時代、とすると222年、もしくは229年が三国時代の始まりと言えるかもしれません。
因みに三国志の出来事で有名な黄巾の乱は184年に起こり、更に言うならこの時代はまだ漢の時代です。既にして40年近く過ぎています。
そして晋の時代は皇帝、司馬炎が即位した265年スタートとすると、ここから40年ほどで三国時代は終わるのです。三国志の世は乱世、それ故にその時代を年代で見ると、短い時間とも言えるのですね。
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三国志で興った様々な国と残った三国
さて、三国志の時代は乱世の時代でした。有体に言ってしまうと群雄割拠の時代です。皇帝として治めていたのは漢王室で、時代は漢でしたが、その権威は失墜し、あちこちで戦いが繰り広げられていたのです。
様々な英雄たちが国を背負って戦い、勝ち、負け、滅び、たまに興る。その中で残ったのが三国、前述した「曹魏」「蜀漢」「孫呉」となります。
実は既に代わりすら起こっていた国々
ここで三国志でも有名な国々のトップ、魏の曹操、蜀の劉備、そして呉の孫権。ゲームや漫画で名前は知っている方も多いと思われます。さて彼らが国のトップであり皇帝か……というと、実は三国時代となると既に一命脱落しています。
曹操の息子であり、曹操自身はこの時に既に亡くなっているのです。三国志演義を見ているとこの辺りは中々に驚きですね。何せメインキャラクターが殆ど退場しているのですから……逆に呉ファンは「あの時の孫権が大きくなって」と感慨深くなるかもしれません。話がそれてしまいました、では最後に勝ったのは。「最後に勝った」そう言われる国は、大きく分けて二つあります。
三国志で最後に勝ったのは晋
では三国志で最後に勝ったとされる一国……それは晋。……いきなり魏も呉も蜀も関係ない国の名前が出てきて驚くかもしれませんが。
三国では覇権を握っていた曹魏ですが、時代が流れるごとに皇室の力は墜ち、司馬一族が牛耳るようになっていきました。
結果として265年12月、魏の元帝から司馬炎が禅譲を受けて皇帝として即位し、晋が建国されます。既に蜀は魏によって無く、この後に晋は呉を滅ぼします。このため、三国を滅ぼした晋、三国志で勝者となった国は「晋」ということができる訳です。
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いや「三国志」で勝利したのは呉でしょ!
ここでもう一つ、三国志で最後に勝った国として「呉」という意見も挙げさせて頂きましょう。呉は晋によって倒れました。ではその後が三国志で最後に勝ったのは何故か、というと……実質「三国」で残ったのは呉だからです。
蜀は263年に魏の侵攻によって滅びました。対して魏も、禅譲が265年に行われて実質滅んだと言えます。
そして晋による呉への侵攻により、呉が滅んだのは280年。最後まで生き残ったことを勝利というのなら、間違いなく三国志で最後に勝ったのは呉、と言える訳ですね。
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盛者必衰、春の夢……
さて晋が勝ったのか、呉が勝ったのか、この判断は難しい所です。呉も晋に滅ぼされている所だけで判断すると、三国ではない真の勝利となり、三国時代に終焉を打った、晋の勝利……とするのが、一番スマートかと思われます。
ただ、晋の時代、司馬一族の栄華もそこまで長く続いた訳ではありません。寧ろ司馬一族による専横が、他でもない司馬一族の崩壊を早めてしまったとも言えます。
それに関してはぜひ「ドキ☆ワク!八王の乱シリーズ」をお楽しみ下されば。そして時代の移ろいを感じて頂ければ、幸いでございます。
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三国志ライター センのひとりごと
「三国志で最後に勝ったのは」「三国志で最後に勝った国は」この疑問、良く尋ねられるものなのですが。何が難しいって、その結果をどう説明するかが何だか複雑怪奇な所。
「魏と呉と蜀」その戦いの結果、新しい四つ目の勢力が急に出てくるのですから。なので今回は晋の台頭に合わせ、年代で見ると最後まで残った呉もまた、勝者となり得る可能性も挙げさせて頂きました。時代の流れの複雑怪奇さ、その流れに興味を抱いていただければと思います。どぼーん。
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