「三国志で、諸葛亮って凄いんだよ~」と言われた時、貴方はどう思いますか?
「うんうん、本当に凄いよね!」
「いやいや、そうでもないよ!」
「んー凄いんだけど、凄さの種類が違って……」
色々な反応があるかと思いますが、それはあくまで諸葛亮を「凄い」と分かっているからこそ。そもそも諸葛亮を良く知らないと、その凄さはどの辺りにあるのかちょっと難しい。
そこで今回は、諸葛亮の凄さについて。色々なお話を合わせて、ご紹介したいと思います。
この記事の目次
諸葛亮、ぶっちゃけると何をした人なの?
まずは諸葛亮は何をした人なのか、簡単ですが説明をしましょう。諸葛亮は、劉備に仕えた人物です。言葉にするとそれだけですが、具体的に言うとそれだけでは収まりません。
まだ治める土地を持たなかった劉備に国を持たせ、更にその国を国としてまとめ上げ、大国の王と戦わせ、そうしてその主である劉備亡き後、その志である「漢王室の復興」を、自分が死ぬまで掲げて戦い続けました。正に己の全てをかけて主君に報いた人物、それが諸葛亮です。
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諸葛亮と言えば十万本の矢!あれって実は!?
ここでちょっと一つ、諸葛亮の話の中でも有名な、十万本の矢のエピソードの話を。これは赤壁の戦いの中での話で、周瑜に十万本の矢を十日で作れるかと言われた諸葛亮は「そんなもん三日でできらぁ!」とご挨拶。
失敗したらそれを理由に諸葛亮を殺そうとたくらむ周瑜。それを心配する魯粛をよそに、軍船に藁の束を並べ、霧の立ち込める夜、曹操軍に接近。一斉射撃が藁の束に炸裂するも、それこそ諸葛亮の読み通り。
こうして諸葛亮は十万本の矢を用意しました……という、諸葛亮の知略に優れる所(そして周瑜の性格の悪さ)を印象付けるエピソードですが、実はこの話、三国志演義の創作です。更に言うと、実は実際に似たようなことをやったのは孫権なのです。びっくりしたでしょうか?
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諸葛亮のエピソード、どこまで本物なの?
このように、三国志エピソード、と一言で言ってもそれには「三国志演義でのエピソード」を含んでいることも多く、諸葛亮のエピソード、と言っても、言い方は悪いですが創作のパターンも少なくは有りません。なので三国志を調べだすとちょっとがっかりしてしまうこともあるのですが……そこで終わっては三国志の世界はもったいない。
どうしても目立つ三国志演義があるために、新規のファンの方ほど引っかかりやすいこれこそ孔明の罠!諸葛亮は実際、本当に「凄い」人物なんですよ!
諸葛亮は如何にして天才と呼ばれたのか?
さて、諸葛亮が「天才」と呼ばれることを耳にしたことはないでしょうか?そしてそれの多くは政治の天才……と呼ばれてはいませんでしたか?
三国志演義だと軍師、というか、魔法使いのような面が引き立ってしまう諸葛亮ですが、その多くの才能を輝かせたのは政治の場と言えます。そしてそれは、諸葛亮の代名詞とも言える、繰り返される北伐にあると筆者は思っております。
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諸葛亮の本当の「凄さ」
諸葛亮の北伐は、五次にわたって行われました。この内、五度目の北伐の最中に諸葛亮は陣中で息を引き取ります。この五次であること、つまり五回もの北伐が繰り返されたことこそ、諸葛亮の「凄さ」です。
五回行われたということは、悪い言い方をすれば四回は確実に失敗をしています。にもかかわらず、諸葛亮は五回もの北伐を繰り返せた、勝てずに、時に敗北しながらも、諸葛亮は五度もの遠征をおこなう手腕があったのです。
貧乏過ぎては戦争はできません、戦争は勝とうが負けようが、間違いなく国力を減退させ、人々の士気を下げてしまうものです。つまり諸葛亮は戦争に、国の余力を割けるだけの政治的手腕、国家運営能力を持っていたという、ことです。これこそが、諸葛亮の凄さだと思います。
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【北伐の真実に迫る】
諸葛亮こそ、正当に評価されてほしい存在
因みに234年春2月、五回目の北伐が行われ、諸葛亮の死により蜀軍は撤退しました。その後、残された者たちは国の回復に力を注ぎますが、諸葛亮の後継者というべき存在である蔣エンですら、北伐の失敗の回復からの復興に力を注ぎながらも再びの北伐の計画を練り、更にそれをなせぬまま246年にこの世を去っています。
決して蔣エンが能力不足なのではありません、諸葛亮こそが、例外であり、異常でもあるのです。
この北伐だけでも、諸葛亮の凄さは伝わるかと思います。決して三国志演義の人外染みた諸葛亮を非難するつもりはありませんが、諸葛亮としての評価、ある意味人ならざる者の如くの能力、もっと評価してほしいですね。
諸葛亮という存在と、その人柄
さて最後までちょっと三国志演義への恨み言のようになってしまいますが、実は三国志演義、諸葛亮びいきと言われますが、筆者的にはそこまでではないかな、とも思います。例えば周瑜に対する手紙とか、曹真に対する手紙とか、そこまでするか?と思ってしまうからですね。
実際にはこんな手紙は送ってはいない訳で、ある意味、これは諸葛亮の人柄の印象を悪くしてしまうものではないか、とも思います。もちろん三国志演義は三国志演義でとても面白い読み物なのですが、どうかそこで立ち止まらず、もっと三国志の沼にどぼーん!して欲しいですね!
三国志ライター センのひとりごと
何気に、筆者は三国志演義の周瑜への手紙や曹真への諸葛亮の手紙で「なんてひどいひとなんだ……!」と思ってしまった口です。ですから、正史三国志を見て、新しい発見にワクワクしましたね!
こういう違いもまた、新しい人物の魅力や、更なる発見にも繋がります。入口がどこかは、問題ではないのです。ぜひ諸葛亮から、もちろんそれ以外の人物からでも、どうぞ三国志の沼へようこそ!です!
参考:蜀書 諸葛亮伝
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