孫堅(そんけん)と言えば、正史三国志では、
ほとんど一人で董卓(とうたく)相手に奮戦し董卓に洛陽を放棄させた、軍功一番の人物として知られています。
しかし、孫堅が董卓に遭遇するのは、西暦190年ではありませんでした。
それよりも4年も前、孫堅は董卓と同僚として会っていたのです。
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西暦186年、孫堅、董卓と遭遇する
西暦186年、黄巾賊の乱が一応終息した頃、
涼州では辺章(へんしょう)と韓遂(かんすい)が反乱を起していました。
それに対して、朝廷は、董卓に兵を与えて討伐させたものの、
芳しい成果を上げる事は出来ません。
そこで、朝廷は、司空(しくう)の張温(ちょうおん)を車騎将軍として、
長安に駐屯させます、この時に張温の参軍として参加していたのが孫堅でした。
張温、董卓を呼びだすが、、
張温は、軍を長安に駐屯させて、そこから董卓を呼び出します。
董卓は、詔を受けますが、わざとだらだらとやってきました。
張温「董中郎将、そなた、あまりにも、賊の討伐が遅いではないか?
一体、何をだらだらとしているのか?帝も立腹であるぞ!」
董卓「えーっとお、、韓遂がぁ、、強くてぇ、、頑張ってるんですけどォ・・
中々、上手くいかない、みたいなぁ、、オガッ」
董卓は叱られているにも関わらず、態度がデカく不真面目でした。
それを張温の横で見ていた孫堅は、張温の側により耳うちします。
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孫堅、張温に董卓を斬るように進言
孫堅「将軍、、董卓は、罪を恐れておらず、態度もデカイままです。
こんなヤツは将来、ろくな事をしないでしょう。
約束の期日に遅れた事を理由に死刑にしておしまいなさい」
いきなり、董卓を死刑にしろという孫堅に張温は慌てます。
張温「いや、董卓は西涼では武功が絶大だ、これを殺してしまっては
今後、西涼に睨みが効かなくなるであろう・」
孫堅「これは異な事を、将軍は皇帝の軍を預かり、威光は輝くばかりです。
なんで、董卓などに頼る必要がありましょうか?」
孫堅は、このように言い、さらに董卓を斬るべき3つの理由を挙げます。
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