キングダムの合従軍は史実?函谷関の戦いの本当の結末と映画・漫画との違い

2026年9月23日

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「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

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おとぼけ(田畑 雄貴)

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函谷関

 

 

映画『キングダム 魂の決戦』を見て、あの合従軍は本当にあった戦いなのか、気になった人も多いと思います。

 

兵士 朝まで三国志

 

秦以外の国がまとめて攻めてくる。話が大きすぎて、さすがに作り話ではないか、と感じるのも無理はありません。先に答えを書くと、合従軍は史実です。

 

蘇秦(そしん)は合従連衡を行った

 

紀元前241年、楚・趙・魏・韓などの国が手を組んで秦を攻め、函谷関で退けられました。ただ、中国の歴史書『史記』に残っている記述は、数行しかありません。映画と原作で描かれた合従軍の大部分は、原泰久先生がその短い記録からふくらませたもの。

 

援軍に向かう陳表軍(将軍・兵士)

 

この記事では、史記に書かれていることと、漫画・映画で足されたところを並べて見ていきます。どこまでが本当の話か分かると、映画をもう一度見たくなるはずです。

 

※この記事は映画『キングダム 魂の決戦』と、原作の合従軍編の内容、史実の結末に触れています。映画の情報は2026年9月時点のものです。

 

キングダムの合従軍は史実?結論

項目 史実(史記) 漫画・映画
年 紀元前241年 紀元前241年
参加した国 韓・魏・趙・衛・楚(秦始皇本紀)。蕞を攻めたのは趙・楚・魏・燕の精鋭(趙世家) 当初は楚・趙・魏・韓・燕・斉の六国(途中で斉が離れ、五国で侵攻)
まとめ役 楚王が従長(盟主)、春申君が取り仕切る 映画の紹介文では春申君が総大将、仕掛けたのは李牧
函谷関 秦が兵を出し、諸侯の兵は逃げ散った 戦いの山場の一つとして長く描かれる
蕞(さい) 龐煖が攻めたが落とせなかった 秦王政が民を率いて守り抜く

 

合従軍があったこと、函谷関で敗れたこと、蕞が落ちなかったこと。この三つは史記に書かれた史実です。逆に、李牧が合従軍を仕掛けたこと、秦の将軍たちの一騎打ち、秦王政が蕞で民を奮い立たせる場面。どれも史記には出てきません。

 

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史実版の春秋戦国時代の年表

 

史記に書かれた合従軍の記録

『史記』の完成という使命を貫いた司馬遷

 

合従軍について書かれているのは、史記の三つの篇です。どれも短いので、要点を現代語で紹介します。

 

 

秦始皇本紀

青州兵(兵士)

 

秦王政の六年、韓・魏・趙・衛・楚が一緒に秦を攻め、寿陵を取りました。秦が兵を出すと、五国の兵は引き上げました。秦の側から見た記録は、これだけ。

 

 

春申君列伝

行軍する兵士達b(モブ)

 

楚の考烈王の二十二年、秦の攻撃が止まないことに困った諸侯が合従して、西の秦を攻めました。楚王が従長となり、春申君が実務を取り仕切ります。函谷関まで来たところで秦が兵を出し、諸侯の兵はみな敗れて逃げました。楚王はこの失敗を春申君のせいにして、春申君はそれから遠ざけられたといいます。

 

趙世家

行軍する兵士達a(モブ)

 

龐煖が趙・楚・魏・燕の精鋭を率いて秦の蕞を攻めましたが、落とせませんでした。そこで向きを変えて斉を攻め、饒安を取っています。三つを合わせて、原稿用紙1枚に届くかどうか。漫画では、合従軍編に9巻ほどを使っています。夏休みの絵日記に「海に行った」と一行だけ書いてあるのを、9巻の大冒険にしたようなものです。

 

面白いのは、篇によって参加した国の顔ぶれが違うことです。秦始皇本紀には衛が入っていて燕がありません。趙世家の蕞攻めには燕が入っています。どちらが正しいのか。史記の中でも、答えは出ていません。

 

キングダムの合従軍(紀元前241年)の位置関係図。秦の都・咸陽と蕞は函谷関の内側の関中にあり、韓・魏・趙・衛・楚の都から合従軍が函谷関へ向かった。燕も趙世家に参加国として出てくる。斉は不参加で、楚はこの年に寿春へ遷都した

合従軍と函谷関・蕞の位置関係(『史記』の記録をもとにした模式図。作図:はじめての三国志)

 

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キングダムを100倍楽しむ

 

漫画・映画で足されたところ

「POINT」の文字を指さす、おとぼけのポイント解説イラスト

 

李牧は合従軍に出てこない

剣を持ち戦う李牧

 

映画でも漫画でも、合従軍を仕掛けたのは趙の李牧です。ところが史記の合従軍の記録には、李牧の名前がありません。史記で趙の将として名前が出てくるのは、蕞を攻めた龐煖です。

 

ガマンする李牧

 

このころの李牧は、史記では燕を攻めたり、北で匈奴に備えたりしています。李牧が秦の軍を大きく破るのは、合従軍の8年後、桓騎との戦い(紀元前233年)です。合従軍の頭脳に李牧を置いたのは、原先生の創作だと考えられます。たしかに、物語としてはこちらの方が筋が通ります。馬陽で王騎を討った李牧が、次はもっと大きな手で秦を追い詰める。史記の空白を、李牧と秦の因縁の話で埋めたのではないか、と。

 

斉は合従軍に入っていない

 

作中では斉も合従軍に加わり、途中で抜けます。史記では斉は最初から入っておらず、蕞を落とせなかった合従軍に攻められる側でした。

 

蕞で民を率いる秦王政

嬴政(始皇帝)

 

蕞の戦いで、秦王政が自ら城に入り、民に語りかけて守り抜く場面があります。原作でも屈指の名場面です。史記に残っているのは、龐煖が蕞を攻めて落とせなかった、という一文だけ。秦王政が蕞にいたという記録はありません。一文から、あの場面を立ち上げたわけです。ここ、しびれました。

 

 

登場人物の実在と創作

 

飛信隊の信と仲の良い政(始皇帝)

 

合従軍で活躍する人物には、実在の人と原作オリジナルが混ざっています。

 

春申君は合従軍の記録そのものに、龐煖は同じ年に蕞を攻めた記録に名前があります。麃公は実在の秦の将軍ですが、合従軍に加わった記録も、最期の記録も史記にはありません。汗明は『戦国策』に春申君を訪ねた人物として出てきますが、将軍ではなく弁舌の人でした。媧燐と万極は、原作のオリジナルキャラクターです。

 

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キングダム人物名図鑑

 

 

合従軍はなぜ秦に負けたのか

献帝(はてな)

 

では、合従軍はなぜ負けたのか。史記は理由を書いていません。ここからは、記録から読める範囲の考察です。

 

一つ目は、函谷関という場所。函谷関は深い谷の間を抜ける関所で、大軍が一度に通れません。数で押す合従軍には、いちばん相性の悪い戦場でした。

 

二つ目は、寄せ集めだったことです。国ごとに事情が違い、自分の国の兵を減らしたくない。秦が本気で兵を出したとたんに崩れたのは、そこを突かれたのだと思います。

 

敗れたあとの楚の動きも、史記に残っています。楚世家によると、盟主の楚は合従軍に失敗したこの年に、都を東の寿春へ移しました。秦から遠ざかる引っ越しです。

 

合従軍は、秦を止める最後の好機だったのかもしれません。諸国が大軍をそろえて秦に向かった合従は、これが最後になりました。

 

関連記事:キングダム 楚の宰相、春申君の最後が残念すぎる

 

 

映画『魂の決戦』の続きは原作の何巻から?

 

原作の合従軍編は、25巻の前後から33巻ごろまで続きます。映画『魂の決戦』が原作のどこまでを描いたかは、映画の範囲と、続きを読むなら何巻からかを、別の記事でまとめています。

 

関連記事:映画キングダムはどこまで?全5作の原作範囲と見る順番、続きは漫画の何巻から

 

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巻数で探せる!キングダム考察

 

キングダムの合従軍でよくある質問

キングダムの合従軍は実話ですか?

 

実話です。紀元前241年に楚・趙・魏・韓などが手を組んで秦を攻め、函谷関で敗れたことが『史記』に書かれています。李牧の作戦や将軍たちの一騎打ちは、原作の創作です。

 

合従軍の総大将は誰ですか?

 

史記では、楚王が従長(盟主)で、楚の宰相の春申君が実務を取り仕切りました。実際に軍を率いた人物として名前が残っているのは、趙の龐煖です。

 

合従軍に参加した国はどこですか?

 

史記の秦始皇本紀では韓・魏・趙・衛・楚、趙世家の蕞攻めでは趙・楚・魏・燕です。斉は参加しておらず、合従軍に攻められました。

 

函谷関の戦いは何年ですか?

 

紀元前241年です。秦王政が即位して六年目にあたります。

 

キングダムライターおとぼけの独り言

 

はじめての三国志主宰 おとぼけ(田畑雄貴)

 

史記を読み返して驚くのは、司馬遷の書きぶりの淡々としたところです。秦の滅亡がかかった戦いでも、結果だけ書いて次の年へ進んでしまう。司馬遷にとっては、秦が勝って合従軍が散った、という結果がすべてだったのでしょう。

 

最後まで戦い抜く張悌(ちょうてい)兵士モブ

 

その隙間に、李牧の作戦や麃公の突撃や蕞の民を詰め込んだのが原先生です。映画を見て胸が熱くなったなら、半分は史実の重さで、もう半分は隙間を埋めた想像力の重さなのかもしれません。それでは兄弟たちよ、また次の記事でお会いしまっせ!

 

 

 

 

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おとぼけ(田畑雄貴)

数々のブレストと思いつきで場を散らかした後、権限委譲と言い放ち、kawauso編集長に丸投げし去っていく。インターネットの不特定多数無限大の可能性にロマンと情熱を捧げる「はじめての三国志」の創設者。創造的で自由な発想が称賛や批判を創発し、心をつかむコンテンツになると信じている。各メンバーのパーソナリティを尊重し、全員の得意分野を活かし、補完し合うチーム作りを目指している。

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