戦国策と史記の違いとは?作者・成り立ち・どっちが信用できるかを比較

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「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

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『史記』の完成という使命を貫いた司馬遷

『史記』と『戦国策』は、どちらも中国の戦国時代を知るための古い書物です。『史記』は前漢の司馬遷が書き上げた歴史書。『戦国策』は前漢の末に劉向が編んだ、遊説家たちの弁論や逸話の集まりです。二つの書物は、成り立ちや形が異なります。同じ人物についても、残されている記述が異なることがあります。

 

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

では、どちらを信用すればよいのか。この記事では、二つの書物の作者と成り立ち、中身の違い、史料としての評価を比べたうえで、記述が分かれる例として、秦の将軍・桓齮の最期を読み比べます。

 

 

きっかけは、漫画『キングダム』の69巻。桓騎(史書では桓齮)の最期の場面に、『史記』と『戦国策』の一文が並んで注記されていたのです。片方は李牧が秦軍を退けたと書き、もう片方は桓騎を殺したと書いていました。どっちが本当なのか。気になったまま調べてみると、二つの書物の生まれ方の違いが見えてきました。

 

※この記事は2026年10月時点の内容です。キングダムの単行本69巻の展開に触れています。

 

戦国策と史記の違い:早わかり表

項目 『史記』 『戦国策』
作者・編者 司馬遷 原作者は不明。前漢の末に劉向が宮中の書物を整理して編んだ
書物になった時期 前漢の武帝のころ 前漢の末(『史記』より後)
形 紀伝体の歴史書(本紀・表・書・世家・列伝) 国ごとに分けた弁論・逸話の集まり(33篇)
扱う時代 伝説の黄帝から前漢の武帝まで 戦国時代を中心とする諸国の記録・説話
中身の中心 帝王の事績、年表、制度、諸侯の家、人物の伝記を組み合わせて記す 遊説家(縦横家)が王に説いた言葉と策略
史料としての性格 通史の基本史料。個々の記述は、ほかの篇や史料と突き合わせて使う 弁論や逸話を含み、史実や年代の検討が必要な重要史料

 

『戦国策』の項目は、コトバンクに載る複数の辞典(世界大百科事典、日本大百科全書、ブリタニカ国際大百科事典ほか)の記述で照らし合わせました。

 

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戦国策

 

 

『史記』とは?司馬遷が書き上げた歴史書

 

『史記』は、前漢の武帝の時代に、司馬遷が書き上げた歴史書です。伝説の黄帝から、司馬遷自身が生きた武帝のころまでを扱っています。形は紀伝体と呼ばれます。王朝の歩みを記す本紀、年表の表、制度をまとめた書、諸侯の家ごとの世家、そして人物ごとの列伝。後の中国の正史は、この形を手本に書かれていきました。

 

 

全部で130篇。夏休みの読書感想文に選ぶ本としては、まず候補に上がらない厚さです。司馬遷は、宮中に残る記録や先人の書物を集め、各地を旅して聞いた話も使いながら、ひとつの歴史に組み上げました。

 

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『戦国策』とは?劉向がまとめた遊説家たちの言葉

 

 

『戦国策』は、戦国時代に諸国を渡り歩いた遊説家、いわゆる縦横家たちの言葉と策略を、国ごとに集めた書物です。蘇秦や張儀の名前が有名です。原作者は分かっていません。前漢の末、宮中の書物を整理していた劉向が、ばらばらに伝わっていた戦国時代の話を集め、重なりを削り、国ごとに並べて33篇にまとめました。『戦国策』という名前を付けたのも、劉向。

 

引き出しの奥から出てきた、紙の大きさも題もばらばらのレシピのメモを、一冊のノートに清書し直したような仕事だと思います。ちなみに、ブリタニカ国際大百科事典によれば、「戦国時代」という呼び名の由来もこの書物。弁論や逸話を集めた一冊の名前が、そのまま時代の呼び名になっているというのは、少し意外でした。

 

「漁夫の利」や「虎の威を借る狐」といった故事成語も、『戦国策』に出てくる話です。どちらも、王に向かって語られたたとえ話でした。

 

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春秋戦国時代

 

史記と戦国策の関係:史記のほうが先に書かれていた

司馬遷(しばせん)

 

書物になった順番でいえば、『史記』のほうが先です。司馬遷は武帝の時代の人で、劉向が『戦国策』を編んだのはそのあと、前漢の末になります。

 

ただ、材料の古さは別の話。後漢の班固は『漢書』の司馬遷伝の評の中で、司馬遷が『世本』や『戦国策』を材料に取ったと書いています。班固の評をそのまま読めば、司馬遷も戦国時代の話の集まりを材料にしていたことになります。ただ、それが劉向の編んだ今の『戦国策』と同じ形だったかまでは、この評からは分かりません。

 

ブリタニカ国際大百科事典も、『戦国策』には『史記』の記述と合致するものが少なくない、としています。では、両書の記述が分かれるとき、それぞれどの材料から来たのか。司馬遷が、どのように本文を選んだのか。そこは、班固の評も語っていません。

 

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戦国策と史記、どっちが信用できる?

はじ三倶楽部 スマホの誤変換でイライラする参加者(はてな)

 

どちらか一方を正解と決めて読むのではなく、一つひとつの記述を、ほかの篇や史料と突き合わせて確かめること。これが基本です。年や出来事は『史記』の本紀・年表・列伝を突き合わせ、『戦国策』や出土した資料とも比べて確かめます。

 

『戦国策』については、辞典の評価を並べると、注意すべき点と価値の両方が見えてきます。

 

辞典 『戦国策』の評価
世界大百科事典 記述は必ずしも実録ではなく、事実や年代に矛盾も多い
日本大百科全書 史実への関心は薄く、小説的でさえある
ブリタニカ国際大百科事典 貴重な史料。『史記』の記述と合致するものが少なくない
山川 世界史小辞典 『春秋』以後の史実を知る文献史料として重要

 

記録の正確さへの注意と、史料としての価値。この二つは両立します。たしかに、『戦国策』の中心は遊説家の弁論。王を説き伏せるための言葉は、話を大きくしがちですし、あとから整えられた話も混じっています。話のうまい人の武勇伝が、人に話すたびに少しずつ立派になっていくのと似ています。

 

外交官でもあり、財神にもなった子貢

 

ただ、だから役に立たない、というわけではありません。当時の政治や外交、遊説家たちの言葉を知るうえで、重要な史料だからです。そこへ1973年、湖南省長沙の馬王堆3号漢墓から出てきたのが、絹に書かれた書物。

 

 

のちに『戦国縦横家書』と名づけられたこの帛書は、劉向が『戦国策』を編むより前に書き写されたものでした。全27章のうち11章は、『戦国策』や『史記』などに伝わる文章と対応し、残りの16章は新しく見つかった文章でした。

 

訳注者の大西克也氏は、蘇秦の書簡や弁論が、比較的もとの形に近い姿で収められている点を評価しています。こうした出土資料の研究は、蘇秦の活動時期や事績を見直す材料にもなりました(齋藤賢氏「蘇秦列傳の成立」ほか)。『史記』の側も、こうして一つずつ確かめ直されている、ということです。

 

「史記が正しくて、戦国策は作り話」とも、「戦国策のほうが生の声」とも言い切れない、というのが今の見方だと思います。

 

史実版の春秋戦国時代の年表

 

記述が分かれる例:秦の将軍・桓齮の最期

桓騎

 

桓齮は、秦王政(のちの始皇帝)の時代の秦の将軍です。宜安で戦った相手は、趙の名将・李牧。漫画『キングダム』では桓騎の名前で登場し、69巻でその最期が描かれます。その最期の場面には、次の二つの注記が入っています。原文と訳は、作中の表記のまま。

 

作中の出典表記 原文(作中の表記) 作中の訳
「史記 趙世家」より 三年、秦攻赤麗・宜安。李牧率師、與戰肥下、却之。 幽繆王三年、秦が赤麗と宜安を攻めた。李牧が軍を率いて肥下の地で戦い、秦軍を退けた。
「戦国策 趙巻」より 李牧數破走秦軍、殺秦将桓騎。 李牧は度々秦軍を破り敗走させ、秦将桓騎を殺した。

 

桓騎 キングダム

 

作中では、史書の「桓齮」を、作中の名前に合わせて「桓騎」に置き換えています。

 

剣を持ち戦う李牧

 

『史記』趙世家は、秦が攻めてきて、李牧が肥下で退けた、とだけ書きます。桓齮の名前は出てきません。『戦国策』は、その桓齮を殺した、と言い切っています。『史記』には、李牧本人の伝もあります。宜安で李牧に敗れた秦の将軍・桓齮について、李牧の伝と『戦国策』を並べると、こうなります。

 

書物と篇 原文 書いてあること
『史記』廉頗藺相如列伝(李牧の段) 擊秦軍於宜安,大破秦軍,走秦將桓齮 李牧が宜安で秦軍を大破し、桓齮を敗走させた
『戦国策』趙策四 李牧數破走秦軍,殺秦將桓齮 李牧はたびたび秦軍を破って退け、秦の将・桓齮を殺した

 

目に付くのは、『史記』李牧の伝が宜安での「走」(敗走させた)を記すのに対し、『戦国策』には李牧が桓齮を「殺」したという一文があること。ただ、『戦国策』の文も、まず「數破走秦軍」、たびたび秦軍を破って敗走させたと書き、そのうえで「殺」と続けています。殺した場所や年は、この一文には書かれていません。同じ戦いの結末が二つに分かれた、とはすぐには言えません。

 

 

『史記』の側には、秦の歴史を記した秦始皇本紀もあります。こちらは始皇十四年(前233年)に、秦が宜安を取り、桓齮が平陽と武城を平定したと書きます。同じ時期の秦の趙攻めでも、篇によって残す出来事や記し方が違います。今回の引用だけでは、同じ一戦の勝敗を逆に記したのか、別の局面を記したのかは決められません。

 

同じ運動会でも、父親が撮ったビデオと母親がつけた日記では、残っている場面が違うことがあります。それに近いことが起きているのかもしれませんし、どちらかが誤っているのかもしれません。作中の桓騎は、李牧の目前で趙兵の槍を受けて倒れました。「走」と「殺」のどちらに近いかといえば、「殺」の側の最期です。

 

関連記事:キングダム桓騎の最期は何巻何話?李牧に迫った死亡シーンと最後の言葉、史実との違い

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桓齮の最期は、結局どちらが本当?

はてなマークな劉備と袁術

 

決め手はありません。最初は、『史記』の「走」を信じればよいと思っていました。ただ、読み比べてみると、『戦国策』も秦軍を敗走させたと書いたうえで「殺」と続けています。宜安で敗走させ、そのあとの別の機会に殺した、という読み方も、文面の上では成り立ちます。

 

西遊記巻物 書物_書類

 

『史記』の「走」は、敗走させたという記録。その場面のあと、桓齮がどれだけ生きたのか、どう死んだのかまでは書いていません。逆に『戦国策』のこの章は、李牧の戦功に続いて、秦の反間策、李牧の処刑、趙の滅亡を語ります。「殺」の一語だけで、死んだ年や場所を決めることはできません。

 

原先生は、李牧の目前で倒れる最期を描き、その場面に『史記』と『戦国策』の両方の一文を添えました。どちらか一方に決めてしまわず、二つの記録を並べたまま読者に渡した、とも読めます。そこから先は、読む側が考えるところなのだと思います。

 

キングダムを100倍楽しむ

 

よくある質問

戦国策の作者は誰ですか?

 

原作者は分かっていません。前漢の末に劉向が、宮中に残っていた戦国時代の話を整理して33篇にまとめ、『戦国策』と名づけました。

 

史記と戦国策はどちらが先に書かれましたか?

 

書物としては『史記』が先です。ただ、『戦国策』にまとめられた話には、それより前から伝わっていたものがあります。後漢の班固は、司馬遷が『戦国策』を材料に取ったと評しています。

 

「戦国時代」という名前は戦国策から来ているのですか?

 

そう説明されています。ブリタニカ国際大百科事典は、「戦国時代」という呼称がこの書物に由来すると説明しています。

 

漁夫の利は戦国策の話ですか?

 

はい。燕策に出てくる、シギとハマグリが争っているうちに漁師に両方とも捕まる話です。燕のために蘇代が趙の王に語り、趙と燕が争えば強い秦が漁師の立場になる、と説いて趙の燕攻めを止めようとしました。

 

虎の威を借る狐も戦国策ですか?

 

はい。楚策に出てくる、江乙(本によっては江一)が楚の宣王の問いに答えた話です。

 

キングダムで桓騎の最期に引かれている史書は何ですか?

 

69巻の桓騎の最期の場面に、『史記』趙世家の「秦攻赤麗・宜安。李牧率師、與戰肥下、却之。」と、『戦国策』(作中の表記は「戦国策 趙巻」)の「李牧數破走秦軍、殺秦将桓騎。」が注記として入っています。

 

キングダムライターおとぼけの独り言

はじめての三国志主宰 おとぼけ(田畑雄貴)

 

桓騎の最期の記事を書き直したとき、『史記』の「走」の一字だけで記事が一本書けてしまいました。今回は、その一字と『戦国策』の「殺」の一字を並べてみたら、二つの書物の生まれ方の違いまで見えてきた、という一本になりました。

 

史書は、そこに書いてあることがすべて本当だから読むのではなく、誰が、何のために、何を材料に書いたのかを考えながら読むもの。そう思うと、二千年以上前の一字一字も、なかなか味わい深く見えてきます。それでは兄弟たちよ、また次の記事でお会いしまっせ!

 

 

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数々のブレストと思いつきで場を散らかした後、権限委譲と言い放ち、kawauso編集長に丸投げし去っていく。インターネットの不特定多数無限大の可能性にロマンと情熱を捧げる「はじめての三国志」の創設者。創造的で自由な発想が称賛や批判を創発し、心をつかむコンテンツになると信じている。各メンバーのパーソナリティを尊重し、全員の得意分野を活かし、補完し合うチーム作りを目指している。

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