韓信(かんしん)と言えば、軍事に関しては天才だが、
それ以外はまるでダメ夫という中二病気質丸出しの面倒くさい性格の人ですが、
実は、そんな韓信、軍事ばかりではなく、数学にも強い事が今回判明しました。
それにより彼の兵法が独学というのも怪しくなってきたのです。
この記事の目次
仲間のヘマで殺されかけた時に、助命された韓信
そんな韓信の才能は、彼が項羽(こうう)に愛想を尽かして出てゆき、
漢中に左遷されていく劉邦(りゅうほう)軍に付き従っていた途中で発見されます。
項羽の下を出たものの、無名の二十代の韓信は、コネもなく、
仕方なく宴会のウェイターのような仕事に甘んじますが、
そこで不備があり、連帯責任で斬罪にされそうになります。
自分の落ち度でもないのに連帯責任で死罪にされ、
韓信は無念でたまりません、そこで悔し紛れに叫びました。
「上不欲就天下乎?何為斬壯士!」
訳「漢王は天下が欲しくないのか?どうして壮士を斬るのだ!!」
それを聞いた劉邦の御者をしていた夏侯嬰(かこうえい)は
瞬時に韓信を面白いヤツと考え、韓信を助命します。
どうして?夏侯嬰は韓信を治粟都尉に命じる
夏侯嬰は、そうして助命した韓信を何故か治粟都尉(ちぞく・とい)に命じます。
ここが凄く不思議なのです、大言壮語を吐く韓信を気に入って助命までは
分るとしても、それで与えた仕事が治粟都尉とは不思議です。
世間一般では、治粟都尉をただの食料倉庫の番人のようなヒマな仕事で
それゆえに、韓信は再び不満に思い、漢軍を逃亡したとされていますが、
とんでもない、治粟都尉は数学知識が必要な重職なのです。
関連記事:地味だけど超大事!三国志の時代の食糧貯蔵庫とはどんなもの?
関連記事:曹操軍の食料担当にはなりたくない!!その理由とは?
関連記事:【実録】三国志の時代のショッピングは命がけだった?
前漢の敏腕経済官僚だった桑弘洋も治粟都尉だった!
前漢の武帝の時代に、経済官僚として登用された
桑弘洋(そうこうよう)は洛陽の商人の息子でした。
十三歳で暗算の天才として武帝に仕えてから塩と鉄を国家の専売にしたり、
国家の金で物資を買い、必要としている土地に高値で売るなど、
利殖に励んで、匈奴との戦争で空になった国庫を一杯にしています。
そんな桑弘洋が命じられたポストこそが、治粟都尉だったのです。
治粟都尉は、漢軍の物資全体を管理する重要な仕事でした。
【次のページに続きます】