197年、曹操は張繍(ちょうしゅう)に負け、曹安民(そうあんみん)、
曹昂(そうこう)、典韋(てんい)ら優秀な武将を何人も失います。
翌198年、再び曹操と張繍は刃を交えることになります。
偽撃転殺の計
南陽城にたてこもった張繍に対して、
曹操は三日三晩、城の西側を攻撃し続けます。
実はこれ、「偽撃転殺(ぎげきてんさつ)の計」といい、
西門を狙っていると見せかけて、兵力を西側に集中させ、
本当は東側を攻めるという戦法だったのです。
張繍らは城の西門に兵を集め防衛を固めました。
それを見た曹操は、「しめしめ」と思い、東門へ回りました。
虚誘掩殺の計
ところが、張繍には優秀なブレーンがついていたのです。
参謀の賈詡(かく)です。
賈詡は、曹操の偽撃転殺の計を見破りました。
そこで、引っかかったと見せかけておいて曹操を油断させ、
逆に東門で待ち受けていて破るという戦法を用います。
これを、「虚誘掩殺(きょゆうえんさつ)の計」といいます。
これにより、曹操は、張繍&賈詡に撃退されてしまいました。
同じようなことが日本史でも。その名も「キツツキ戦法」
(photo by wikipedia 川中島の戦い)
時は遥かに流れて1561年、
日本史における有名な合戦の中でも、この偽撃転殺の計と
虚誘掩殺の計が使われました。
第4回川中島の合戦の際、武田信玄は、軍を二つに分け、
上杉謙信の陣のある妻女山の背後から奇襲攻撃を行い、
攻撃を加えたあとに下山して、それを追ってきた上杉謙信をたたく
という方法を考えます。
しかし、この偽撃転殺の計、上杉謙信には見破られてしまいました。
上杉謙信は夜のうちに下山してしまったのです。
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この記事を書いた人:東方明珠
こんにちは。とうほう めいしゅです。
中国は上海の雰囲気が好きなので、テレビ塔の「トンファンミンジュ」を名乗っています。
もともと『水滸伝』の大ファンで、『三国志』に興味を持ったのは、アーケードゲーム「三国志大戦」がきっかけです。
当時はゲームセンターに通いつめました!
まだまだ中国史について勉強中ですが、精いっぱい面白いことを探してお伝えしたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。