偽撃転殺の計VS虚誘掩殺の計

2015年2月14日


 

射抜かれる曹操

 

197年、曹操は張繍(ちょうしゅう)に負け、曹安民(そうあんみん)、

曹昂(そうこう)、典韋(てんい)ら優秀な武将を何人も失います。

 

翌198年、再び曹操と張繍は刃を交えることになります。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



偽撃転殺の計

曹操VSかく

 

南陽城にたてこもった張繍に対して、

曹操は三日三晩、城の西側を攻撃し続けます。

 

実はこれ、「偽撃転殺(ぎげきてんさつ)の計」といい、

西門を狙っていると見せかけて、兵力を西側に集中させ、

本当は東側を攻めるという戦法だったのです。

 

張繍らは城の西門に兵を集め防衛を固めました。

それを見た曹操は、「しめしめ」と思い、東門へ回りました。

 

虚誘掩殺の計

賈詡

 

ところが、張繍には優秀なブレーンがついていたのです。

参謀の賈詡(かく)です。

 

賈詡は、曹操の偽撃転殺の計を見破りました。

そこで、引っかかったと見せかけておいて曹操を油断させ、

逆に東門で待ち受けていて破るという戦法を用います。

 

これを、「虚誘掩殺(きょゆうえんさつ)の計」といいます。

 

これにより、曹操は、張繍&賈詡に撃退されてしまいました。

 

 

同じようなことが日本史でも。その名も「キツツキ戦法」

(photo by wikipedia 川中島の戦い)

 

時は遥かに流れて1561年、

日本史における有名な合戦の中でも、この偽撃転殺の計と

虚誘掩殺の計が使われました。

 

第4回川中島の合戦の際、武田信玄は、軍を二つに分け、

上杉謙信の陣のある妻女山の背後から奇襲攻撃を行い、

攻撃を加えたあとに下山して、それを追ってきた上杉謙信をたたく

という方法を考えます。

 

しかし、この偽撃転殺の計、上杉謙信には見破られてしまいました。

上杉謙信は夜のうちに下山してしまったのです。

 

関連記事:ある意味、戦乱時代の勝者? 賈詡とはどんな人物だったか?

 

よく読まれている記事

袁術

 

よく読まれている記事:【これは悲しすぎる】今や忘れさられた袁術の墓

 

朝まで三国志

 

よく読まれている記事:朝まで三国志 三国志最強のワルは誰だ(笑) 第1部

kawauso 投壺

 

関連記事:三国時代の娯楽にはどのようなものがあったの?タイムスリップして当時の人に取材してみた

 

袁紹 曹操

 

よく読まれてる記事:【三国志if】もし袁紹が官渡の戦いで曹操に勝ってたらどうなってたの?

この記事を書いた人:東方明珠

キリン(東方明珠氏)はじめての三国志

こんにちは。とうほう めいしゅです。

中国は上海の雰囲気が好きなので、テレビ塔の「トンファンミンジュ」を名乗っています。

もともと『水滸伝』の大ファンで、『三国志』に興味を持ったのは、アーケードゲーム「三国志大戦」がきっかけです。

当時はゲームセンターに通いつめました!

まだまだ中国史について勉強中ですが、精いっぱい面白いことを探してお伝えしたいと思っています。

どうぞよろしくお願いいたします。

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
東方明珠

東方明珠

中国は上海の雰囲気が好きなので、テレビ塔の「トンファンミンジュ」を名乗っています。もともと『水滸伝』の大ファンで、『三国志』に興味を持ったのは、アーケードゲーム「三国志大戦」がきっかけです。当時はゲームセンターに通いつめました!まだまだ中国史について勉強中ですが、精いっぱい面白いことを探してお伝えしたいと思っています。

-三国志の雑学