三国志の武将達は、個性豊かな武器を使って戦場を往来しておりましたが、兵士達はどのような武器を使って戦っていたのか気になりませんか。今回ははじさんでも依然取り上げている武器のほかにも様々な武器があることが分かりましたのでご紹介していきたいともいます。
鉄の鈎鑲
三国時代には弩(いしゆみ)や戟(げき)などの武器を持って歩兵は戦いに参加しておりました。しかし三国志には歩兵が携行した武器の中には皆さんが知らない隠れた物がありました。その一つが鉄の鈎鑲(てつのこうじょう)と呼ばれる武器です。
鉤鑲とはどういった武器なのか
さて鉄の鉤鑲とは一体どのような武器で、どういった用途があるのでしょうか。まず鉄の鈎鑲は春秋戦国時代から普及していた武器で、長さは大体70センチ程の長方形の盾で、盾の上下に30センチほどの突起物がついております。そして盾の裏面には持つための取っ手が付いております。さてこれをどのように使って戦うのでしょうか
刀とセットで使うことで威力を発揮
この鈎鑲は刀とセットで使うことで非常に有効な物になります。まず盾を片方の手でもって、もう片方の手には刀を持ちます。某モンスター狩りのゲームの武器である片手剣をイメージしていただけたら分かりやすいと思います。
そして敵と遭遇すると片方の手に持っている鈎鑲を盾として敵の攻撃を防いでいる間に、もう片方の手に持っている剣で相手に突き刺すなり、斬り付けることで攻撃を行います。攻守両方を兼ね備えた武器であり、三国時代にはかなりの量が出回っていたそうです。
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馬も防具を付けて戦場へ赴く時代
三国時代の戦では奇襲を行う場合など兵士は軽装で戦うこともありましたが、基本は鎧を付けて敵の攻撃から身を守っておりました。しかし兵士だけが鎧を付けて戦いに参加していたわけではありません。馬も鎧を付けて戦いに参加する時代でした。
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馬専用の鎧「馬甲」
騎馬隊は鞍を馬に乗せてそのまま敵陣へ攻撃をかけてしまうと、馬が死傷してしまいます。馬を生産するには刀や槍のように作ればいいというものではなく、それなりの年月を要します。そのため馬の身を守るために馬甲(ばこう)が開発されます。
馬甲は春秋戦国時代において開発されており、戦車を引っ張る役目であった馬が弓矢などで亡くなると戦車に乗っていた人が外へ放り出されて亡くなる可能性があるため、馬を敵からの弓矢などから身を守るために作られたとされております。キングダムでは魏の戦車隊の騎馬隊は馬甲を装備していますね。
しかし馬甲は結構な重量であるため、馬の速度が低下する難点がありました。そのため三国志の時代では騎馬隊の機動力の低下を防ぐために、薄い鉄で馬甲を作ることで馬の機動力低下を防いでおりました。
曹操が開発した巨石を飛ばす「発石車」
曹操は官渡の戦いの時、官渡城へ籠城して袁紹からの攻撃を防いでおりました。袁紹はこの時城壁の中にいる兵士を弓矢で殺すため、城壁を超える高い櫓を組み立てて城内に弓矢を大量に射こむことに成功します。
そのため曹操軍は城内に居るのに袁紹軍からの弓攻撃を受けて、死傷者が続出してしまいます。曹操は袁紹軍のこの攻撃をやめさせるためどうすればいいのか必死に考えます。その結果思いついたのが巨石を飛ばして櫓を破壊してしまえばいいのではないかという考えにたどり着きます。
そして彼は巨石を敵陣へ放り込むため、テコの原理を応用して石を飛ばします。この兵器は春秋戦国時代にはすでにありましたが、曹操はこの発石車を移動可能にします。発石車を移動可能にすることで袁紹軍のやぐらを狙い撃ちにすることができ、この発石車のおかげで袁紹軍の超高いやぐらを破壊することに成功します。
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三国志ライター黒田廉独り言
三国志に登場している武器は、春秋戦国時代で使われた物を改良して使っている物が多く、孔明や馬鈞(ばきん)は弩などを改良して、兵士達が有利に戦えるようにします。
三国志の英雄や武将に着目するのも非常に面白いですが、こうした兵士などの武器に着目することで、当時の戦い方などを少しは知れるのではないのでしょうか。「今回の三国志のお話はこれでおしまいにゃ。次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。それじゃ~またにゃ」
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