曹操(そうそう)のいとこにして、腹心の夏候惇(かこうとん)。
字は元譲(げんじょう)。
チャームポイントは左眼の眼帯★
彼は、曹操が旗揚げのときから常に従い、
曹操の死とともに、自らもこの世を去ったという、腹心中の腹心です。
気になる夏侯惇の戦績は0勝2敗
小柄な曹操のとなりに、ドドンと立ちふさがり、
曹操に斬りかかる雑魚兵たちを、ざっくざっくとやっつける大男。
そんなイメージの夏候惇ですが、
実は、実績がほとんどありません。
大きな戦いで軍を指揮したのは、2回しかない上に、
どちらも負け戦なのです。
198年、沛の劉備が、呂布軍の高順から攻撃を受けました。
その救援にかけつけますが、高順に敗れてしまいます。
また、202年、博望坡の戦いの際、夏候惇は、撤退する劉備を追撃します。
李典が「伏兵があるから、追うのはやめましょう!」と助言しましたが、
夏候惇はききません。
敵陣につっこみ、案の定伏兵に散々に叩かれてしまいます。
独眼竜の由来
193年、曹操が、父親を殺されたために
徐州(じょしゅう)に報復しに行きます。
その隙に、今度は呂布(りょふ)が
曹操の拠点である兗州(えんしゅう)を奪ってしまいます。
夏候惇は、呂布討伐に引き返す曹操に従いますが、
そのとき戦で、呂布軍の武将、曹性の放った矢が
左眼に刺さってしまいます。
このときの夏候惇の行動がすごいのです。
刺さった矢を、眼球ごと引き抜くと、
「父からいただいた精、母からいただいた血を捨てるわけにはゆかぬ!」
と叫んで、食べてしまったのです!
自分の眼を、食べたのです!!(二回言いました)
さらに、曹性の顔面を突き刺して、あっというまに討ち取ってしまいます。
すさまじいエピソードです。
おまけ:独眼竜とは
この記事では、隻眼の武将夏候惇のことを、「独眼竜」と書きましたが
独眼竜という言葉は、まだ三国時代には存在していません。
私たち日本人は、独眼竜というと「伊達政宗」を思い出す方が
ほとんどだと思います。
はじめて「独眼竜」と呼ばれたのは、
唐末に活躍した李克用(りこくよう)という武将です。
彼は隻眼の猛将であったため、独眼竜と呼ばれました。
黄巣の乱で頭角を現し、のちに後梁を建国する朱全忠(しゅぜんちゅう)と
戦いました。
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この記事を書いた人:東方明珠(とうほうめいしゅ)
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■自己紹介:
通称「はじさん」のはじっこライター東方明珠です。
普段は恋愛系のノベルやシナリオを書いています。
中国の歴史が大好きで、
ハンドルネームにも上海のテレビ塔の名称を拝借しています。
行き当たりばったりで中国の遺跡を巡る旅をしていましたが、
次は無錫市にある三国志のテーマパーク「三国城」に行きたいです。