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【悲惨】周瑜は劉備の噛ませ犬でジャンプ台扱いだった?

2018年7月21日


 

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周瑜

 

周瑜(しゅうゆ)は三国志の時代に活躍した人物で、三国志を知らない方でも赤壁(せきへき)の戦いで活躍したイケメンでしょというくらいの知識があると思います。周瑜は孫呉の為に戦ってきたのですが、劉備(りゅうび)陣営からしたらジャンプ台、噛ませ犬だったのかもしれません。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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孫呉の勢力拡大に貢献した周瑜だが…

周瑜

 

周瑜は孫呉(そんご)を討伐して天下統一を目指す曹操(そうそう)を赤壁で打ち破り、孫呉の勢力拡大に大きく貢献。どれくらい周瑜が孫呉の勢力拡大に貢献したのか。一例を上げると周瑜が赤壁で曹操軍に勝利したことで孫呉の窮地(きゅうち)を救い、荊州の中心部である江陵(こうりょう)をゲットして、江東だけだった孫呉の勢力を拡大することに成功します。このように周瑜は孫呉の勢力を拡大することに貢献(こうけん)した武将ですが、見方を変えれば周瑜が咬ませ犬だったかもしれません。

 

 

なぜ周瑜が咬ませ犬なのかそれは…

劉備

 

周瑜は孫呉の勢力を拡大したのにどうして咬ませ犬なのでしょうか。それは劉備を助けたからです。なぜ劉備を助けたことが咬ませ犬なのでしょうか。

 

関連記事:周瑜はいかにして魯粛を呉に引き入れたのか?

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周瑜のおかげで命が助かり、領土もゲットできたから

劉備と孫権

 

劉備は曹操軍の南下からなんとか逃亡して、劉表(りゅうひょう)の息子・劉琦(りゅうき)を頼って江夏(こうか)へ逃亡。しかし曹操軍は大軍を転がすように江東へ向けて進軍を開始します。この時魯粛(ろしゅく)が劉備と会見し孫呉と同盟するように持ちかけた事がきっかけとなり、孫呉と劉備の同盟が成立します。

 

魯粛

 

 

周瑜は劉備軍を当てにせず独力で赤壁の戦いで曹操軍を撃破。周瑜が曹操軍を撃破したことで孫呉の領土も拡大することになりますが、見方を変えれば劉備軍を助けたとの解釈もできます。

 

赤壁で敗戦する曹操

 

 

そして劉備は周瑜が江陵を攻略している間に、荊州の南部を制圧することに成功し、今まで流浪の軍勢であった劉備軍が領土を持つことに。劉備が荊州南部に領土を持つことができたのも、江陵で周瑜が曹操軍の武将・曹仁(そうじん)と激闘を繰り広げていた事が原因です。

 

曹仁

 

 

この事を考えると周瑜を咬ませ犬と辛辣に表現する必要はありませんが、劉備に利用された形になったのは間違えないでしょう。

 

赤壁の戦い

 

 

江陵をあげてしまったから咬ませ犬になった周瑜

咬ませ犬になった周瑜

 

もし周瑜が咬ませ犬だとするのであれば、苦労して手に入れた江陵を劉備にあげてしまったことでしょう。周瑜は江陵攻防戦の時、曹仁軍からの弓矢を受けて深手を負ってしまいます。周瑜は深手を負いながら江陵城を攻撃して、曹仁を退けることに成功しますが、周瑜も江陵から撤退することになります。そして周瑜は曹仁軍から受けた深手が原因で亡くなる事に。

 

周瑜、陸遜

 

その後孫権は周瑜が亡くなったため、曹操軍の攻撃から江東を守るため戦線を縮小することにします。孫権は周瑜の後任魯粛の意見を受けて江陵から撤退することに決め、周瑜が苦労して奪った江陵城を劉備へタダであげてしまいます。この点は周瑜が劉備の咬ませ犬と言われてもしょうがないように思えます。

孫権と周瑜

 

いくら戦線を縮小するからといって周瑜が苦労して奪った江陵城を劉備にタダであげるのは、周瑜の苦労が報われないと思いませんか。これでは周瑜が可哀想な気がします。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レンの独り言

 

更に周瑜が咬ませ犬と言うことを示すのであれば(結果論ですが)、劉備の為に赤壁、江陵城攻防戦で曹操軍を撃退したと言えるのではないでしょうか。これは現代で三国志の結果を知ることができる私達の特権ですが、劉備が益州を取るために周瑜が赤壁で知略を尽くし、江陵城を奪ったと思えてしまうのです。なぜなら周瑜が頑張った手柄はすべて劉備の物になっているからです。

 

劉備は周瑜に感謝してもしきれないほどの恩義があり、周瑜を祀ってもいいような気がするのは気のせいでしょうか。そして孫呉ファンと周瑜ファンの皆様には周瑜をディスってしまったことをここにお詫び申し上げます。すいませんでした!!

 

参考 ちくま学芸文庫 正史三国志呉書等

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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