三国志に登場するのは勇ましい武将ばかりではありません。諸葛孔明を始めとした、軍師や政治家といった人たちの活躍も描かれています。彼らはそれぞれ自分の思想に基いて、どうすれば国が良くなるか、あるいは戦争に勝ち残れるか、その頭脳を武器として乱世を生き抜いた人々です。三国時代の知識階層がその思想のベースとしたのは、諸子百家(しょしひゃっか)と呼ばれる思想家たちの教えでした。
関連記事:三国志を楽しむならキングダムや春秋戦国時代のことも知っておくべき!
『キングダム』の時代に花開いた諸子百家の思想
諸子百家とは三国時代から遡ること1000年前から400年程前の時代、人気コミック『キングダム』の舞台ともなった春秋戦国時代に活躍した思想家たちの総称です。春秋戦国時代は、あまたの列強国が覇を競いあう戦乱の時代でした。国と国とが互いに勢力を争う時代、それは平和とは程遠いものでしたが、同時に活気に満ちた時代であったとも言えます。
諸子百家の思想が開花した理由
各国は国力を高め軍備を増強する富国強兵の政策を進めますが、より優れた政策を行うためには、より優秀な人材が必要でした。戦乱はまた、身分の低い者が上位の者に取って代わる“下剋上(げこくじょう)”の風潮を作り出していました。このような条件のおかげで、春秋戦国時代は身分の低い者でも、自身の才能ひとつで出世する糸口が見つけやすい世の中になっていたわけです。下級の士族や民衆の中から、知識を身につけた者たちが遊説家となり、独自の政策や思想を問いて回りました。諸侯はこのような遊説家たちを食客としてもてなし、より優れた意見を持つ者を重用して、その説くところを政治に取り入れていきました。このような風潮が春秋戦国時代を中国史上きっての、思想の発展した時代としたわけです。
関連記事:劉禅が読んだ韓非子ってどんな本?
関連記事:【キングダム芸人】中華統一を果たした信と政はどうなった?
諸子百家の思想って、どんなものだったの?
諸子百家とはあくまで春秋戦国時代に活躍した数多の思想家たちを総称した言葉です。その内容は実にさまざま、多岐にわたっていました。純粋な理想論や政治論を説くものから、実用的な技術論を説くもの、さらに、その両者が渾然としているものもありました。例えば、後に中国の中心的な思想となる儒家(儒教)は人間の特を重んじ、礼儀によって社会を治める思想として知られていますが、一方で儒家は冠婚葬祭の具体的な作法を教えることでも知られています。また墨家は非戦や博愛主義を唱える思想集団ですが、自身の理想を実現するため、実戦において国や城を守る防衛戦のプロフェッショナル集団でもありました。思想が実に多様化したことも、諸子百家の時代の大きな特徴です。
諸子百家の思想家って、どんな人がいたの?
前漢時代、後に『史記』の執筆で知られる司馬遷の父親である司馬談は、諸子百家を六つの学派=六家に分類しました。その分類分けは以下の通りです。
儒家:徳と礼儀を重んじる思想。孔子、孟子、筍子など。
法家:法治主義を説いた思想。韓非子など。
道家:三国時代、竹林の七賢の清談で知られる哲学的思想。老子、荘子が有名
墨家:非戦と博愛主義を説いたプロの傭兵集団。墨子。
陰陽家:日本の陰陽道の元になった思想。鄒衍や公孫発などが知られる。
名家:論理学として知られる思想。唯一現存する『公孫龍子』の公孫龍が知られる。
後漢時代に入ると、歴史家の班固が前期の六家に三家を加え、九流としました。
縦横家:弁舌を得意とする策士。『合従連衡』で活躍。蘇秦や張儀など
雑家:儒家・法家・道家などのいいとこ取り思想。呂不韋の名が知られている
農家:農業技術を伝える。原典となるものは残っていないが『孟子』などに引用がある
この九流に、さらに小説家(故事や説話を書物に残す仕事をした)、そして孫子の兵法などで知られる兵家の2つ。これを加えたものが、現在でいうところの諸子百家です。この諸子百家の中で、後の時代に特に影響を与えたのが、儒家と法家、そして道家でした。また、兵家の代表である孫子の兵法は現在では世界中でその名が知られ、多くの軍事指導者がそれを学んだことが知られています。
関連記事:姜維の兵法二十四編って孔明から貰った大事な宝物だった?