日産自動車のカルロス・ゴーン会長が金融商品取引法違反容疑で東京地検特捜部に逮捕されました。
ゴーン会長には、同容疑の他に会社の資金、資産、経費を私的流用した疑いも強まっていて証拠が固まれば背任か、
特別背任で立件される可能性も浮上しています。
でも、そもそも、カルロス・ゴーンは何をした人なのでしょうか?
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この記事の目次
倒産寸前の日産を立て直した救世主
1999年の3月、継続的な販売不振で2兆円の有利子債務を抱えた日産は倒産寸前になりました。
そこで日産は生き残りをかけて、手を差し伸べてきたフランスの自動車メーカー、ルノーと業務提携します。
提携内容は、ルノーが6430億円を出資して日産自動車の株式の36.8%、及び日産ディーゼル工業の株式22・5%を取得すると共に
日産の欧州における販売金融会社も取得するというものでした。
同時に日本人社長は解任され、送り込まれたのが、最高経営責任者の肩書を持つカルロス・ゴーンでした。
経営悪化の元凶、縦割り組織の打破とcft
どうして、日産が2兆円もの債務を抱えていながら立て直しが出来なかったのか?
それは、日産の縦割り組織の弊害でした。
開発、生産、購買、販売、というような各部門は、全く独立していて他の部門と連携する事がなく、
売り上げが下落しても「うちは頑張っている」「あっちが悪い」と責任をなすり合いいつまで経っても有効な政策がとれなかったのです。
誰も責任を取らず、部門だけでこり固まる縦割り組織の弊害をゴーンは打破する決意をします。
彼は、クロスファンクショナルチーム(CFT:機能横断組織)を9つ発足させ、パイロットと呼ばれるチームリーダーを40代の課長クラスに任せました。
CFTは複数の部門から人材を集めて組織され、部門最適ではなく全体最適を目指しています。
こうして、発足させた9つのCFTにゴーンは、日産再建プラン作成を命じました、これが日産リバイバルプランと呼ばれる再建策でした。
1999年7月に発足したCFTは、このリバイバルプランを僅か4か月で完成させたそうです。
何よりもスピード感重視というゴーンの持ち味が発揮された瞬間でした。
これは何となく、軍師祭酒という参謀集団を組織して彼らに責任を持たして、戦略プランを練り上げた曹操に似た所がありますね。
激動の時代を生きた先人たちから学ぶ『ビジネス三国志』
リストラとコスト削減により2500億円の純利益を達成
日産リバイバルプランとは、激しいリストラを伴うものでした。
村山工場や日産車体京都工場など5工場を閉鎖し、グループ従業員の14%、21000人を解雇さらに、車両コストの6割を占める部品調達では
下請け業者を1415社から600社と半分以下に絞り込みました。
また、本業以外の系列会社も閉鎖したり売却したりして整理します。
ここでゴーンが目指したのは総額1兆円という空前のコストカットでした。
情け容赦がないリストラと経営合理化から、カルロス・ゴーンはコストカッターの異名を取ります。
同時にゴーンは、コミットメント(必達目標)を掲げ、目標を掲げて達成できなければ、責任者をクビにし自身もceoを辞めると断言しました。
これで、目標を達成出来なくても責任を取らず、なぁなぁで済ませてきた日産経営陣の「甘えの構造」にもメスが入る事になります。
言い逃れが出来ない中で、日産は生き残りをかけて再建プランに邁進倒産寸前から、わずか2年後には、2500億円という史上最高純利益を
達成したのです。
まあ、あれだけバカバカ首を切り、リストラすりゃ、誰でも1兆円くらいはコストカットできるよなという人もいますが、
実際にやるとなれば、無数の圧力があったでしょうから、それを押し切ったのは英断でした。
社内コミュニケーション改革で経営方針を末端まで徹底
カルロスゴーンの改革で最も大きかったのが、TOPの経営方針を会社の隅々まで周知させる社内コミュニケーションの改革でした。
ゴーンがCEOに就任すると、日産の各職場にはモニターが配置され、社内システムと繋がり経営方針や決算など対外的な発表は、
ここに映し出されました。
日産の社員は、誰でもゴーンの経営方針を直接聞く事が出来るようになります。
これは、カスケード(滝)コミュニケーションと呼ばれ、大量の情報が末端社員まで共有された結果日産の経営方針など
無関係に言われた事だけ行っていた一般社員の意識を大きく変えました。
同時に、多国籍企業になった日産の経営風土をグローバル化するのにも、大いに役立ったと言われているのです。
権力集中がカルロス・ゴーン独裁と腐敗を生んだ
しかし権力の集中による独裁的な手法はゴーンに奢りを産み腐敗が始まります。
コミットメント達成の為に強引な手法が目立つようになり、どちらかと言うと会社の為というより、自身の権力維持の為のプランが多くなるのです。
さらに、ゴーンは2013年に日産が大幅な赤字を出した責任を№2の志賀cooに押し付けました。
これは、自身が宣言したコミットメントを自分で廃棄する背信行為で大きく求心力を落とします。
もうひとつゴーンは、大きな誤りを犯していました。
彼はストレッチ(背伸び)と言って部下に高い目標を掲げてチャレンジする事を求めました。
それ自体は必要な事ですが、挑戦してもすぐに結果が出ないと粛清人事で対応します。
どんなプランも成功までは時間を要するものですが、すぐに実績を求めるゴーンはそれを辛抱強く待てません。
こうなってくると、あたかも三国志の袁紹政権の末期のような状態になります。
郭図や審配のような人材が、ゴーンの顔色をうかがい周囲を取り巻いてゴーンを擁護しそれに反対する田豊や沮授のような人材には
ゴーンに讒言して懲罰人事を行わせるわけです。
ゴーンはこうして奢りと長期政権によりどんどん腐敗していき、日産の金と自分の金を公私混同するようになり、
それを取り巻き連中も見逃し、共犯関係になっていきます。
日産の最高経営責任者になって19年、完全に裸の王様になったゴーンはとうとう内部告発で逮捕、かつて日産を倒産から救った革命児は、
ただの犯罪者に落ちてしまいました。
皮肉にも、彼が一掃しようとした日産の悪しき社風。
「経営陣だけで固まり、責任を部下に押し付け、有能な人材でもゴマを擦らない限り評価しない」という体質に
彼自身がどっぷりと浸かってしまったのです。
kawauso編集長の独り言
有能な人材でも権力を集中しないと思ったような改革は出来ない、、
でも、権力が長期にわたり集中すると有能な人材も腐敗し取り巻きが生じて会社を私物化してしまう。
こういう事は、本当に難しいですね。
諸葛亮のように権力は握っていても、自身は腐敗とは無縁という人は珍しいんでしょうね。
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