「はじめての三国志」の読者のみなさま、こんばんはレンです。いきなりですが読者のみなさまは三国志の時代に固い信頼関係で結ばれていた人物といえば、誰を思い浮かべますか。
レンは劉備・関羽・張飛の三兄弟を思い浮かべます。しかし朱然と孫権も劉備三兄弟に負けないくらい、固い信頼関係で結ばれていたのです。今回は劉備三兄弟に匹敵するほどの固い信頼関係で結ばれた朱然と孫権の二人を紹介していきます。
朱然と孫権の固い信頼関係が結ばれたのはいつ??
朱然と孫権はいつごろから劉備三兄弟に匹敵する信頼関係を結んだのはいつ頃なのでしょうか。
それは孫策がまだ生きている頃です。
朱然は孫策が生きている頃、朱治の元へ養子としてやってきます。その後朱然は孫策の弟・孫権と勉学をした事がきっかけで、孫権と朱然の間に固い信頼関係が生まれることになります。
孫権の信頼を裏切らない朱然
その後孫権は孫策の跡を継いで、孫呉の棟梁として君臨。朱然は孫権が孫呉の棟梁となると、孫権から県長や太守に任命されます。
朱然は孫権から与えられた役職をしっかりとこなし、孫権の信頼に応えていきます。
孫権は朱然の実力をしっかりと見極めた後、孫呉にとって大事な戦いに参加させます。朱然は関羽攻略戦や夷陵の戦いなど孫呉の命運を分ける戦でしっかりと実績を残します。
また朱然は魏の攻撃から荊州・江陵城の守りを任されると鉄壁の守りで、魏軍の攻撃から江陵城を守り抜くことに成功。こうして朱然はしっかりと孫権の信頼に応えます。孫権は朱然が次々と実績を挙げていくため、彼を信頼し爵位を上げて彼に報います。
朱然の為に心配する孫権
劉備三兄弟は寝る時も一緒のベッドで寝ていたそうですが、孫権と朱然の二人も負けていません。孫権は朱然が病気にかかったと聞くと、すぐに朱然の元へ医者を派遣します。孫権は他にも朱然の病気が良くなるように彼へ美味しい食事や衣類などをほとんど毎日送っていたそうです。
更に孫権は朱然が病気にかかったと知ると彼の病状が心配で、使者を朱然の家へ派遣して病状を詳しく聞いてくるように命令。孫権は使者が帰ってくる間、朱然の病状が気になってしまい、ごはんをまともに食べることが出来なかったそうです。
このように孫権は朱然と深い信頼関係を結んでいたからこそ、朱然を心配していたと言え、劉備三兄弟に匹敵するほどの信頼関係を結んでいたと言えるのではないでしょうか。
三国志ライター黒田レンの独り言
三国志には劉備三兄弟や今回紹介した朱然と孫権のように固い信頼関係で結ばれた主従が結構います。
例えば魏の荀彧と曹操も固い信頼関係で結ばれた主従と言えるでしょう。
荀彧は曹操がまだ弱小群雄だった時に彼へ仕え、彼の為に内政を整えたり、曹操の為に優秀な人材を多数推挙したりと色々と行います。曹操も荀彧を信頼し、彼の挙げてきた人材を採用し、曹操自ら遠征している際、荀彧に国事と軍事の全てを任せています。
他にも諸葛孔明と劉禅も固い信頼関係で結ばれた主従の一つとして数えることができるでしょう。
劉禅は諸葛孔明を信頼し、国政のすべてと軍事のすべてを彼が亡くなるまで任せてしまいます。諸葛孔明も劉禅の信頼にしっかりと応え、魏と対等に渡り合える国にまで蜀を成長させることに成功するのでした。
このように上記で紹介した朱然と孫権、劉備三兄弟、荀彧と曹操、劉禅と諸葛孔明など固い信頼関係で結ばれた主従が多いので、皆様もこの記事を読んだ機会にこのような主従関係で結ばれた人たちを探してみるのもいいかもしれませんね。
■参考 正史三国志呉書など
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