樊城の戦いと言うと、やはり関羽や、その関羽を打ち取った呂蒙。
信じがたいほど強固に樊城を守った曹仁、それを支えた参謀満寵。
こういった武将たちが挙げられますが、今回は別の観点から樊城の戦いを見ていきます。
この樊城の戦いでは目立たないが、実は大きな働きをしている援軍、樊城の戦いでの魏の援軍たちが今回の注目ポイントです。
樊城の戦い:第一次援軍、于禁
樊城の戦いでは、まず魏からやってきたのは于禁。この于禁は3万の援軍を率いてやってきました。
この以前に魏は蜀と漢中で戦い敗北、有名な定軍山の戦いで魏は漢中を失っただけでなく、名将夏侯淵を打ち取られるという大打撃をこうむっています。そんな苦しい状況の中で何とか出した援軍3万、それを率いる将軍は于禁。
于禁は、張遼、楽進、張郃、徐晃と共に魏の五将軍と呼ばれる名将です。
演義では張遼の活躍が目立つためにそれほど注目されていませんが、正史ではその張遼と並ぶほどの能力を持っている扱いをされている名将、この時点では魏の五将軍筆頭です。
その于禁が精鋭3万を率いて援軍に来たのですから、関羽もこれには手をこまねく…はずでした。
于禁の悲しみ、ただ運がなかった
よりにもよってこの援軍、全滅しました。
この時に大雨が降って洪水が起こって、軍が水没して避難したところを関羽軍によって攻撃され降伏するという事態になりました。于禁に何の落ち度があった訳ではありません、ただただ運がなかったのです。
援軍が全滅したというのは籠城している兵から見ると最悪です。
援軍が来るという可能性が少しでもあれば頑張ることもできますが、その可能性が0になってしまえば頑張ることができなくなりますからね。
しかも精鋭3万、凄い数の兵が壊滅。
この精神的ダメージは計り知れないもので、このまま樊城も落城してもおかしくないのですが、更におかしいことにこのまま樊城は落城せずに抵抗を続けます。
なぜここまで守りきれたのかは本当に曹仁がおかしいとしか言えませんが、そこに信じられない事態が起こります。
樊城の戦い:第二次援軍、徐晃
于禁の精鋭の援軍が降伏した後、ひと月後に徐晃の援軍がやってきます。その数はなんと10万。
3万がひと月前に敗北したのに、その前に漢中でも敗北しているのに、10万の援軍がやってきたのです。そしてそれを率いたのは徐晃。徐晃もまた于禁と同じく、五将軍に名を連ねる名将。その徐晃が10万もの援軍を率いてやってきたのです。
この10万の援軍はとにかく数だけをかき集めたもので、精鋭とは言い難い兵だったようですが、それでも10万という数は凄い迫力ですよね。
事実この援軍はこの後、関羽を樊城の地から追い払っています。
その陰には前に捕虜になっていた于禁の援軍、3万が関羽軍の食事事情にダイレクトアタックをしたことが関係してきますが、それはまた別のお話。
二度の援軍を出すことのできた魏の凄さ
ここで注目するべきは、何よりも魏の国力だと思います。ひと月前に3万もの兵を割いて、しかもそれは全て降伏。
その状態で更に10万もの兵を援軍として出すことができた。これだけでも魏軍の国力の凄まじさが伝わってきますよね。
この時の魏と蜀の国力、人数で比べると三倍差があったと言われています。
蜀が1000万人に対して、魏は3000万人近くあったとも言われているのです。
この全てが戦える兵力ではありませんが、人がいるということはそれだけその国の「強さ」も表していると思います。
蜀が単独ではなく呉と組んで魏に当たらなければならなかった訳が、この国力差です。そしてその魏の国力は、この樊城の戦いでの援軍から読み取ることができるのです。
三国志ライター センの独り言
数に関しては歴史ですから「盛って」いる部分もあるかと思いますが、それでもやはり大きな差があったということは事実でしょう。
樊城の戦いは魏、蜀、そして呉の思惑と戦いが繰り広げられる戦いですが、その中にある情報からその当時の国々のパワーバランスも読み取れます。
ついつい派手な戦いを繰り広げる武将たちの活躍に目を奪われてしまう三国志ですが、たまにはこういった背景からその当時を読み取るのも一興なのではないでしょうか?三国志樊城の戦い、その援軍から当時の三国の状態を、貴方はどうみますか?
参考記事:https://ja.wikipedia.org/wiki/樊城の戦い