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曹操が呟いた「鶏肋(けいろく)」って何?楊修とばっちり

2015年8月4日


 

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曹操 劉備 アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラVSゲイリー・グッドリッチ

 

219年、漢中を巡って劉備(りゅうび)と戦っていた曹操(そうそう)は、数か月に及ぶ苦戦を強いられ、進退について悩んでいました。そんなある日のお話です。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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鶏肋、鶏肋

曹操 鶏肋

 

曹操は、鶏のあばらが入った羹(あつもの、スープのこと)を飲んでいました。

 

そこへ、夏候惇(かこうとん)がやってきます。

「孟徳、次はどう攻める?」

曹操は、羹をすすりながら、こう答えました。

「鶏肋(けいろく)、鶏肋」

 

楊修

 

そっか、そんなに鶏のあばらがおいしかったんダナー。夏候惇はそんなふうに思ったのでしょうが、楊修(ようしゅう)という男だけは、ピンと来たのです。

 

「鶏の肋(あばら)は、だしは取れるが食べるところはない。つまり、漢中は捨ててしまうには惜しいが、かといって死守すべきでもない。そういうことですよネ!?」

 

楊修は撤退の準備を始めました。はたして、翌日、曹操は本当に退却命令を出しました。

 

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楊修大正解~!! なのに死刑

裏切りは許さぬ 曹操

 

長年のライバルである劉備に敗れたことが、曹操はそうとう悔しかったのでしょう。虫の居所が非常にわるかったのに違いありません。

 

「鶏肋」命令を、あっさりと理解して、嬉しそうに周りに触れ回った楊修に対して、腹を立てます。

 

袁術

 

「あいつ、もともと袁術(えんじゅつ)の甥だし、 気にくわなかったんだよ」

 

曹操は、漢中から撤退した後、楊修が諸侯と通じたとして処刑してしまいます。私は鶏肋の逸話を聞くと、いつも思い出す日本文学のエピソードがあります。

 

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枕草子

同年小録(書物・書類)

 

中学生になると必ずと言っていいほど古典で習う『枕草子』の逸話です。

 

中宮定子(ていし)さまから、

「香炉峰(こうろほう)の雪 いかならむ?」

 

と聞かれた清少納言(せいしょうなごん)は、みんなが首を傾げている中で、定子さまの謎かけにピンときて、格子(雨戸のようなもの)を開けて、御簾(すだれのようなもの)を上げ、雪景色を見せるのです。

 

これは、「香炉峰の雪は簾を上げて看る」という漢詩があり、それを踏まえた謎かけだったのですが、ひとりだけバッチリと答えられた清少納言は、定子さまからたいへん喜ばれたとか。相手が曹操だったら、死刑は免れなかったですね、清少納言さん!

 

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曹操孟徳

 

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東方明珠

東方明珠

中国は上海の雰囲気が好きなので、テレビ塔の「トンファンミンジュ」を名乗っています。もともと『水滸伝』の大ファンで、『三国志』に興味を持ったのは、アーケードゲーム「三国志大戦」がきっかけです。当時はゲームセンターに通いつめました!まだまだ中国史について勉強中ですが、精いっぱい面白いことを探してお伝えしたいと思っています。

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