219年、漢中を巡って劉備(りゅうび)と戦っていた曹操(そうそう)は、数か月に及ぶ苦戦を強いられ、進退について悩んでいました。そんなある日のお話です。
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鶏肋、鶏肋
曹操は、鶏のあばらが入った羹(あつもの、スープのこと)を飲んでいました。
そこへ、夏候惇(かこうとん)がやってきます。
「孟徳、次はどう攻める?」
曹操は、羹をすすりながら、こう答えました。
「鶏肋(けいろく)、鶏肋」
そっか、そんなに鶏のあばらがおいしかったんダナー。夏候惇はそんなふうに思ったのでしょうが、楊修(ようしゅう)という男だけは、ピンと来たのです。
「鶏の肋(あばら)は、だしは取れるが食べるところはない。つまり、漢中は捨ててしまうには惜しいが、かといって死守すべきでもない。そういうことですよネ!?」
楊修は撤退の準備を始めました。はたして、翌日、曹操は本当に退却命令を出しました。
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楊修大正解~!! なのに死刑
長年のライバルである劉備に敗れたことが、曹操はそうとう悔しかったのでしょう。虫の居所が非常にわるかったのに違いありません。
「鶏肋」命令を、あっさりと理解して、嬉しそうに周りに触れ回った楊修に対して、腹を立てます。
「あいつ、もともと袁術(えんじゅつ)の甥だし、 気にくわなかったんだよ」
曹操は、漢中から撤退した後、楊修が諸侯と通じたとして処刑してしまいます。私は鶏肋の逸話を聞くと、いつも思い出す日本文学のエピソードがあります。
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枕草子
中学生になると必ずと言っていいほど古典で習う『枕草子』の逸話です。
中宮定子(ていし)さまから、
「香炉峰(こうろほう)の雪 いかならむ?」
と聞かれた清少納言(せいしょうなごん)は、みんなが首を傾げている中で、定子さまの謎かけにピンときて、格子(雨戸のようなもの)を開けて、御簾(すだれのようなもの)を上げ、雪景色を見せるのです。
これは、「香炉峰の雪は簾を上げて看る」という漢詩があり、それを踏まえた謎かけだったのですが、ひとりだけバッチリと答えられた清少納言は、定子さまからたいへん喜ばれたとか。相手が曹操だったら、死刑は免れなかったですね、清少納言さん!
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