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司馬昭が晋王になれたのは賈充の2つの活躍のおかげ

2019年5月1日


 

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反対する賈充

 

()の功臣・賈逵(かき)の息子賈充(かじゅう
)
。賈充は父の跡を継いで役職を歴任します。

 

司馬昭と司馬師

 

その後賈充(か じゅう
)
司馬師(しばし)の弟・司馬昭(しばしょう)の側近として仕えることになりますが、彼が居なければ司馬昭が(しんおう)に就任することが出来なかったのです。今回は賈充(かじゅう)の活躍がどうして司馬昭の晋王就任へつながるのかを紹介したいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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賈充の活躍その1:反司馬家勢力の打倒に貢献

司馬師

 

賈充が司馬昭の晋王就任に活躍したその1は、反司馬家勢力の打倒に貢献した事です。司馬昭(しばしょう)が兄・司馬師(しばし)の跡を継いだころ、司馬家に反抗する勢力がいました。

 

諸葛誕

 

反司馬家勢力の中で最大の勢力は諸葛誕(しょかつたん)です。

 

司馬師

 

彼は司馬氏に反抗していた勢力が反乱を起こした際、反乱軍を鎮圧する功績を残し、司馬家の為に活躍していました。

 

夏侯玄

 

しかし諸葛誕は自分と親しかった夏侯玄(かこうげん
)
らが殺害された事で、()で権力を握っていた司馬昭が「自分も殺害するのではないか。」と疑念を抱いていました。

 

諸葛誕

 

司馬昭も諸葛誕(しょかつたん)が自分に疑念を抱いていると考えていました。賈充は司馬昭が諸葛誕に疑念を抱いている事を知り「私が諸葛誕の心情を確かめてきましょう」と提案。司馬昭は賈充の提案を採用し、諸葛誕の元へ派遣します。

 

賈充は諸葛誕と会見すると「司空の位へ昇進させるから、朝廷に来てほしいと司馬昭殿が言っています」と伝えます。すると諸葛誕は「私は司空になるつもりなんてないし、司馬昭の元で仕事をするつもりなんてない!!」と言って司馬昭からの辞令を拒否。

 

諸葛誕を攻める司馬昭

 

諸葛誕は司馬昭からの辞令を拒否した事で、反乱する決意を固め、翌年孫呉(そんご)と同盟を結んで司馬家に反乱を起こすことになります。

 

賈充が司馬昭へ進言しなければ、もしかしたら諸葛誕が急いで反乱を起こすことなく、最大のチャンスが巡ってくるまで機会をうかがっていたかもしれません。そして諸葛誕の反乱が鎮圧された事で、反司馬勢力が打倒されたことを考えると、賈充のおかげで司馬昭の権力が安泰になったと言えるのではないでしょうか。

 

 

 

賈充の活躍その2:皇帝殺害を行う

反対する賈充

 

賈充の活躍その2としては、皇帝(こうてい)の殺害を行った事です。賈充自ら皇帝を殺害したわけではなく、部下を使って皇帝を殺害したのです。

どのようして賈充は皇帝を殺害したのでしょうか。

 

司馬昭

 

魏の皇帝・曹髦(そうぼう
)
は司馬昭が皇帝をないがしろにして権力をふるっている現状に怒り、司馬昭を討伐するべく反乱を起こします。

 

この時賈充は皇帝の軍勢を退けるため、皇帝の軍勢と戦闘を行いますが、皇帝自ら刃を振り回して戦っていたため、誰も手出しができない状況になってしまいます。そのため賈充の部下は撤退することを考えていました。

 

しかし賈充は配下の武将を呼び「お前たちに給料を与えていたのはこのような時のためだ。すぐに皇帝を討ち取ってこい」と命令を下します。賈充の部下は賈充の命令を受けて、皇帝を殺害するのでした。

 

もしこの時、賈充の激励が無ければ、皇帝は誰からも反撃を受けることなく、司馬昭の屋敷へ行き、司馬昭を殺害することができたかもしれません。上記のように考えれば、賈充は司馬昭の命を助け、司馬家の存続に貢献したといえるでしょう。

 

王基に感謝する司馬昭

 

もっと拡大解釈するのであれば、この時の賈充の活躍が司馬昭を救い、晋王朝建国に貢献。そして三国時代統一の大きな要因の一つになったといえるのではないでしょうか。

 

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晋王へ就任した司馬昭

司馬昭

 

司馬昭は賈充が上記で紹介した活躍により、(しょく)を滅亡させた後、晋王へ就任することになります。彼が晋王(しんおう)へ就任することが出来たのは、賈充一人の活躍だけではありませんが、賈充の活躍が大きな要因の一つとして考えられるのではないでしょうか。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

賈充は司馬昭が亡くなった後、司馬炎(しばえん)が跡を継ぐと車騎将軍(しゃきしょうぐん)へ就任し、その後も位がどんどん昇進していきます。

 

司馬炎(はじめての三国志)

 

その後賈充は晋の法律の制定に貢献していき、司馬炎が魏から皇帝の位を譲られ、晋王朝(しんおうちょう)が出来上がると晋王朝の元勲(げんくん
)
として最高位の爵位を送られることになったそうです。賈充は司馬昭を助け、司馬炎の時代も彼を支えた晋王朝の元勲(げんくん
)
にふさわしいと思うのですが、皆様はどのように思いますか。

 

■参考 知れば知るほど面白い「その後」の三国志

 

関連記事:能力か血統か?司馬炎VS賈充VS杜預、三つ巴お家騒動

関連記事:賈充(かじゅう)とはどんな人?司馬氏の地位確立と晋建国の功臣【晋の謀臣列伝】

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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