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忙牙長とはどんな人?水牛を使っても諸葛亮に勝てなかった南蛮副長

2019年5月1日


 

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水牛を操る忙牙長(南蛮討伐)

 

孟獲(もうかく)の右腕として諸葛亮(しょかつりょう)率いる蜀軍(しょくぐん)と戦った忙牙長(ぼうがちょう
)
水牛(すいぎゅう)を乗りこなし、暴れまわったそうです。しかし、巨体の水牛を操れるほどの人物が、どうして蜀軍に敗北したのでしょうか。それでは水牛と忙牙長(ぼうがちょう
)
のストーリーを紹介していきます。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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なぜ忙牙長は水牛を操れたのか?

西遊記 牛魔王

 

水牛は中国で8000年近く前から飼われており、とても身近な動物でした。野生の水牛はほとんどなく、三国時代にも当然のように家畜として飼われていました。水牛は重要な労働力で水田で鋤を引くだけでなく、乳や肉、皮まで売買されるほど貴重な財産だったのです。

 

牛に乗って登場する光武帝(劉秀)

 

水牛は大きいもので体長は3メートルに達し、体重は1トンほど。三国時代の豪傑(ごうけつ)といえども操るのは相当な腕が必要だったはずです。

 

張飛とkawauso

 

一方で性格は大人しく、水遊びも好きなことからフレンドリーな動物でもあります。現在も家畜として中国やインドを中心に1憶頭以上飼われ、家畜および労働力として重宝されています。図体こそ大きいものの三国時代から南蛮(なんばん)には水牛を操る知恵があり、忙牙長(ぼうがちょう
)
が操っていても何ら不思議ではありませんでした。

 

 

 

忙牙長、王平を破る

王平は四龍将

 

ほとんど字を書けなったといわれる王平(おうへい)。南蛮制圧で水牛に乗った忙牙長(ぼうがちょう
)
に敗れてしまいます。泣く泣く敗走する王平ですが、一枚上手だったのは王平サイドの趙雲(ちょううん)たちでした。

 

朶思大王、孟獲

 

孟獲(もうかく)とともに王平(おうへい)を追撃した忙牙長(ぼうがちょう
)
は罠にかかります。負けたかに見えた王平の裏で待ち構えていたのは”趙雲(ちょううん)張嶷(ちょうぎょく
)
張翼(ちょうよく
)
”の三傑でした。大将の孟獲とともに忙牙長も蜀軍に包囲されます。脱出した彼らは、ほうほうの体で自軍に帰るのでした。

 

蜀のマイナー武将列伝

 

 

水牛で逃げる忙牙長

忙牙長の逃走シーン(南蛮討伐)

 

三国志演義(さんごくしえんぎ)で水牛とともに描かれる忙牙長。水牛に乗ったまま包囲された忙牙長が敵陣から潰走することは可能だったのでしょうか。大柄で強そうな水牛ですが、体重が重く、スピードは人間とほぼ同じです。忙牙長は敵を払いのけながら、水牛から降りて手綱を引いて逃げたと考えられます。つまり、馬に乗った趙雲ならば簡単に追いつけたはずです。

 

五虎大将軍の趙雲

 

しかし、王平(おうへい)が負けたという事実がある以上、王平を救援するのが趙雲(ちょううん)たちの本当の狙いだったのではないでしょうか。そのため、趙雲たちはスピードの遅い水牛を連れて忙牙長が逃げる様を悔しそうに見ていたに違いありません。

 

 

ついに敗北!?馬岱との一騎打ち

悪い顔をしている諸葛亮孔明

 

さて、諸葛亮(しょかつりょう)の出番です。王平を救出した蜀軍は南蛮軍を追い込もうと物資の補給を絶つ作戦に出ます。

 

兵糧を運ぶ兵士

 

とても卑怯なイメージですが、戦いにおいて両軍が確保しなければならないのは”兵士の食糧”です。十分な食糧が確保できなければ、兵士の士気が下がり、戦局にも影響してきます。三国時代において敵の補給線を絶つのは、当然の計略でした。

 

祁山、街亭

 

当時の南蛮軍の補給線、つまり物資を輸送するためのルートは「夾山峪」でした。峡谷というのは道が狭いため、味方を潜伏させ、敵へ襲いかかるに絶好の場所だったのです。ほどなく蜀軍は夾山峪を封鎖することに成功します。

 

孟獲

 

これは何としても確保しなければと忙牙長は孟獲の指示で夾山峪の馬岱(ばたい)退治へと向かいます。水牛に乗って……。

 

馬岱

 

水牛の大軍であってもスピードが遅いので、馬岱(ばたい)には危機感がなかったのでしょう。馬岱は忙牙長との一騎打ちを申し出ます。

 

一騎打ちをする太史慈と孫策

 

中国の戦で軍と軍が衝突する際、リーダー格の武将が歩み出て本戦の前に対決することがあります。そして、引き分けになれば、本戦に突入します。しかし、どちらか一方が相手の首を取ることができれば、そこで勝負は決します。軍同士が戦うことはありません。大勢の部下が見守る中、忙牙長は馬岱と一騎打ちに出ます。水牛に乗った忙牙長と馬に乗った馬岱。勝負は一瞬でした。馬岱が忙牙長の首を切り落とし、戦いは終結します。

 

ゾンビ化した孟獲

 

孟獲のように不死の術は使えないので、忙牙長は水牛と共に葬られたことでしょう。

 

一騎打ち

 

 

三国志ライター上海くじらの独り言

三国志ライター 上海くじら

 

水牛を武器に戦う忙牙長ですが、補給線を絶たれた後も連れてきた水牛を食糧にすれば勝機はあったかもしれません。いずれにしろ諸葛亮の策が南蛮軍を上回っていたことが伺えます。その後の三国志演義にも水牛が登場しないことから、やはり水牛は戦闘には不向きだったのでしょう。

 

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上海くじら

三国志との出会いは高校生の頃に読んだマンガの三国志。 上海留学中に『三国志演義』の原文を読む。 また、偶然出会った中国人と曹操について語り合ったことも……。 もちろんゲームの三国無双も大好きです。 好きな歴史人物: 曹操、クリストファー・コロンブス 何か一言: 覇道を以って中原を制す

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