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嫪毐(ろうあい)ってどんな人?男のウェポンで天下に名をとどろかせる

2015年8月26日


 

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嫪毐 ろうあい

 

本家キングダムでは、毐国(あいこく)を独自に建国して、秦王政を亡きモノにし愛人である太后の産んだ子供を王位に就けようとして滅ぼされた嫪毐(ろうあい)。彼は、どのような経緯で栄光と破滅の道を歩んだのでしょうか?

 

男のウェポン一本で天下を掴もうとした男の人生を追います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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よく分からない嫪毐の半生

 

嫪毐は紀元前238年に殺された事は分かりますが、産まれた年から、呂不偉(りょふい)に見出されるまでの事は分かっていません。ただ、自身の武器が巨大であるという事が世間に知れ渡っている事を考えるとカタギの仕事をしていた人ではなく食客のように各地を渡り歩いていた任侠か旅芸人のような存在だったのかも知れません。

 

もし、そうなら嫪毐が宴会で自身のモノを披露して笑いを取るというような事もしたかも知れず、呂不偉(りょふい)に名前が知れたという推測は立てやすいのです。

 

丞相、呂不偉、秦王政の母、太后と不義密通を犯す

呂不韋

 

呂不偉は、今や秦王政の母として国母となっている太后と不倫の関係でした。元々、太后は趙妃といい呂不偉の元にいた芸妓の1人だったのです。それを秦の王子であった子(しそ)の願いで譲ったのが事の始まりでした。

 

この子楚は、呂不偉の売り込みにより、二十名以上もいた王子を押しのけて、秦の荘襄(そうじょうおう)として即位しますが、たった三年で病死しました。そこで、功労のあった呂不偉も引き立てを受けて丞相になります。

 

夫である秦王を失った太后は生来、性欲の強い女性であったと言われ、常に激しい欲求不満を抱えていました。そこで、秦の丞相として絶大な権力を奮う元恋人の呂不偉に近づいてきたのです。呂不偉はこれまでのいきさつで、これを断れず太后と関係します。しかし、30代の女盛りの太后と50を過ぎた呂不偉では釣り合わず呂不偉は太后を満足させるのが難しくなっていました。

 

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商人、呂不偉 嫪毐のウェポンを最大限に売り込む

宦官集合 

身の破滅を予感した呂不偉が、自分の身代りとして後宮に送り込もうと考えたのが嫪毐でした。恐らく呂不偉は嫪毐を自分がコントロールできる程度の人物だと値踏みしたという事でしょう。そこで呂不偉は、嫪毐の男のウェポンの噂が太后の耳に入るように最高のPRになる仕掛けを思いつきます。

 

桐製の車輪に嫪毐のウェポンを嵌めこみクルクル回す

 

呂不偉は、まず嫪毐を自分の食客として雇い入れて、大きな宴会を催します。そして、何百名という宴会の出席者の酔いが回った頃に、嫪毐を呼び出して下半身を露出させ、そこに桐で造った馬車の車輪をパイルダ―オンさせ卑猥な歌詞を歌いながらクルクルと車輪を回しました。一見すると、ただのゲスな下ネタですが、ここには元商人の呂不偉の商品を売り込む叡智が隠されています。

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kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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