姜維は蜀(221年~263年)の将軍です。最初は魏(220年~265年)に仕えていましたが、諸葛亮の第1次北伐で降伏して、以降は蜀の将軍として従軍します。
蜀の延熙16年(253年)に大将軍の費禕が亡くなると、軍事権を握って諸葛亮が果たせなかった魏への北伐を始めます。
しかし、それもむなしく炎興元年(263年)に魏に降伏となります。ところで、姜維の実力は周囲からどのような評価を受けていたのでしょうか?そこで今回は史実の姜維の評価について解説します。
※記事中の歴史上の人物のセリフは、現代の人に分かりやすく翻訳しています。
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歴史家たちの姜維に対する評価
正史『三国志』の著者・陳寿は姜維について以下のような評価をしました。
「姜維は文武両道の才能を持っていたのに、むやみに遠征を繰り返して、しっかりとした判断が出来ずに、最期は身の破滅を招くことになった・・・・・・小国(蜀)において民の生活を乱してよいのだろうか?」陳寿は蜀出身で姜維と同時代を生きていたので、上記の内容はウソ偽りの無い「ありのまま」の感想です。
また、東晋(317年~420年)の干宝も姜維に対して、「姜維が蜀滅亡で死なずに、鍾会と一緒に死んだことが残念。死ぬことが難しいのではない、死に方が難しい・・・・・・」とコメントしています。さすがに、こんな言われ方をすると姜維と一緒に死んだ鍾会が可哀そうですね・・・・・・
こうしてみると、姜維の実力は歴史家からは評価が良くなかったと分かります。
同僚の目から見た姜維
姜維は同僚からも辛口評価を受けています。
それは張翼と廖化です。2人とも影は薄いですが、蜀滅亡まで戦った将軍であり官位は同等でした。ところが、この2人に共通していることは姜維と軍事面で馬が合いません。
まず張翼。蜀の建興18年(255年)に姜維は出兵しますが大した成果を上げれずに成都に帰還します。そこで姜維は再度の出兵を要請しましたが張翼は「蜀の国は弱小で民は弱っている」と反対。
結局、姜維の出兵案が採用されて出陣となり魏を打ち破りました。姜維はさらに北伐を続けることにしますが張翼は「とどまるべきです。さもないと、今回の大勝利にキズを付けることになります!」と再び反対しました。すると張翼は「これ以上、北伐することは蛇の絵に足を描くことと一緒です」と発言。
つまり、「蛇足」・・・・・・「ムダ」と言ったのです。
このセリフを聞いた姜維は不愉快になり張翼が嫌いになります。張翼も姜維が好きではなかったようですが、仕事である以上、仕方なく従っていました。次に廖化。廖化は姜維から嫌われていたわけではありませんが、彼を厳しく非難しています。
蜀の景耀5年(262年)に姜維が、また魏への北伐を行った時に廖化は呆れて次のようなコメントを残していました。「『春秋左氏伝』にも『戦争とは火のようなものだ。早くやめなければ、自分の身を焼くことになるだろう』と記されているが、これは姜維に当てはまる。智謀も武力も劣っているのに、戦争を仕掛けて何か意味があるのか?」
やはり張翼と同様に廖化も姜維の北伐は意味が無いと言いたいのです。
頑張るけれど・・・・・・周囲の重圧に負けた姜維?
これだけ同僚から厳しい評価を受けた姜維ですが、才能がある人物であるのは間違いありません。
諸葛亮は姜維が降伏してきた当初に蔣琬に手紙で、「姜維は馬良も及ばないほどの才能の持ち主だよ!」とお墨付きを与えていました。馬良は荊州の秀才であり、諸葛亮と義兄弟の契りを交わした人物と裴松之は推測しています。
そのような人物を超える才能の持ち主なので、姜維が諸葛亮から期待されていたのは間違いありません。だが、これが姜維の首をしめることになったと筆者は考えています。姜維は期待はされていたのですが、蔣琬や費禕のように「諸葛亮の後継者」の指名は受けていない欠点があります。
そこで姜維が行ったのが諸葛亮が果たせなかった北伐を成し遂げることです。ところが、何度攻め込んでも思った以上の成果が出ずに、国力を疲弊させることになります。張翼や廖化のコメントから分かるかもしれませんが、周囲の視線が姜維に冷たいことが分かります。
そのため姜維自身もそれが心の重荷になったと推測されます。こうしてみると、後年の蜀の北伐の失敗を姜維1人の責任にするのは可哀そうかもしれません。
三国志ライター 晃の独り言
以上が姜維の実力の評価に対しての解説でした。筆者が今でも疑問視していることがあります。いくら実力があったとはいえ、外様の身分の姜維をなぜ蜀のトップに据えたのでしょうか?
張翼や廖化のように姜維以前から仕えている人はいるはずなのに、それを差し置いてなぜ姜維?やはり彼は『三国志演義』に書かれているような諸葛亮の愛弟子だったのかな?
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