首領である張角(ちょうかく)の死後、弟の張宝、張梁もあいついで戦死してしまいます。黄巾軍はこれを機に一気に勢いを失い、黄巾の乱は平定されました。張角の墓は暴かれ、首は都に送られてさらされてしまいます。しかしながら、黄巾軍は、すべて根絶やしになったわけではなかったのです。その後も、各地でゲリラ戦を起こしていくのです。
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もう1つの黄巾賊 「青州黄巾軍」
董卓の死を契機に蜂起!青州で機をうかがっていた黄巾軍は、兗州(えんしゅう)へ進軍しました。彼らのことを、「青州黄巾軍」と呼びます。兵力は実に100万を超えていました。
兗州を治めていた劉岱(りゅうたい)は、青州黄巾軍と戦おうとしました。ところがここへ、助言をするものが現れたのです。
曹操の盟友である鮑信(ほうしん)は言いました。「戦っても勝ち目はありませんよ。守りを固めるべきです」と。劉岱は挑発されて、「そんなことはない!」と意気込んで出陣してしまいます。結果、劉岱は青州黄巾軍に討ち取られてしまうのです。兗州は、トップ不在の土地となってしまいました。
曹操と青州黄巾軍が遂に交わる
曹操VS青州黄巾軍!
この機に兗州へやってきたのが曹操です。都から派遣されてきた新しい兗州刺史をさっさと追い返し、自分が兗州刺史の座に就任してしまいます。そしていざ、出陣!鮑信とともに、青州黄巾軍をたたくべく、出撃します。兵力差は、圧倒的に青州黄巾軍が有利でした。また、青州黄巾軍は、長年戦ってきた、戦い方を熟知している精鋭たちです。
半年間にわたる激戦を繰り返し、その中で鮑信は戦死してしまいます。曹操は鮑信の遺体を探し回りましたが見つからず、木彫りの人形を作って手厚く葬りました。曹操は伏兵戦術を駆使し、ようやく青州黄巾軍を追い詰めます。形勢不利と悟った青州黄巾軍は、講和の使者を送ってきますが、曹操は突っぱねて戦いを続けます。
青州黄巾軍、曹操に降伏
そうしてついに、青州黄巾軍は、曹操に降伏するのです。このとき、兵卒30万人、信徒100万人は、まるごと曹操の配下となりました。これがそののち、曹操軍の中でも精鋭中の精鋭となる、直属軍団「青州兵」となるのです。
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