楊柏は三国志演義における名前で、正史三国志が引く典略には楊白とあります。しかし、楊柏の名前の方がメジャーなので、ここでは便宜上、楊柏で統一します。
さて、楊柏は後漢時代の末期に漢中に割拠した張魯の配下として登場しますが、正史における楊柏の活躍はほとんどなく、逆に三国志演義の中で異彩を放っている人物になっているのです。
今回は楊柏について演義と正史の二つの面から焦点を当ててみましょう。
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この記事の目次
正史においても馬超を害そうとした人物
正史の楊柏の活躍は、正史三国志魏志張魯伝が引く典略に出てきます。
それによると、
彼(馬超)はしばしば張魯に兵を求め、北して涼州を取ろうとし張魯は遣って往かせたが利は無かった。
又た張魯の将の楊白らがその能を害そうとした為、馬超は武都より氐中に逃入し、転奔して蜀に往った。
このように、張魯の将に楊白なるものの名前が出てきて馬超の能を害そうとしたので、馬超は武都から氐中に逃亡、転奔して蜀に逃げたとあるのです。逃げようとするくらいなので、命を狙われたという事でしょう。何度か北を攻めても戦果が上らず、やがて厄介払いをされたそういう事であろうとも推測されます。
因みに、正史に楊白が出てくるのはこの部分だけで、その後どうなったのかは不明です。
演義においては、より意地悪で勇猛な人物に
三国志演義における楊柏は、張魯の佞臣楊松の弟として登場します。この楊松は三国志演義だけのオリジナルキャラです。
ここでは、張魯が馬超を信頼して娘を娶わせようとすると反対し
「馬超の妻子が惨禍に遭ったのは彼の悪事の為であり自業自得、そんな御仁に姫君を与えるのは如何かと」
このように反対して結局は取り止めさせています。馬超はこれを聞いて怒り楊柏を殺そうとしますが楊伯はそれを知ると兄の楊松と相談し馬超を殺そうと付け狙うという役回りになっています。
この時、タイミングよく劉備を倒す為に力を合わせようと劉璋が黄権を使者にしてやってきます。
ここで手を挙げたのが馬超で、出撃させてくれれば、劉備を生け捕り、返す刀で劉璋を平らげて蜀を取ってきますと宣言します。喜んだ張魯は、馬超に二万の軍勢を与え、万が一劉備に降らないように楊柏をお目付け役として付けていきます。
かくして、張飛と馬超の一騎打ちで有名な葭萌関の戦いが始まりますが、ここでの楊柏は、ただのお目付け役ではなく途中で遭遇した魏延と斬り合い十合持たずに逃げ出したとあります。
三国志演義の話とはいえ、魏延と十合弱斬り合えるのですから、それなりに強いとは言えるでしょう。
正史でも楊伯は馬超の縁組を阻止した?
三国志演義において、張魯は馬超に自分の姫を与えて姻戚にしようとし、楊伯は馬超は自業自得で妻子を失った人物として反対したとされています。しかし、これは虚構ではなく正史においても張魯は馬超に娘を娶らせようとしているのです。
後に漢中に奔ると、張魯は都講祭酒とし、娘を嫁がせようとしたが、或る者が張魯を諫めるには、
「※この様に親近を愛さない人が、どうして他人を愛せましょう?」張魯はかくして止めた。
正史三国志魏志張魯伝に引く典略
※馬超が韓遂と反乱を起こし、その為に父の馬騰以下、馬氏一門が鄴で報復として曹操に皆殺された事を意味する。
このように、人物は特定していませんが、或る人物が「この様に親近を愛さない人が、どうして他人を愛せましょう?」と張魯に進言して張魯は取りやめたとあります。三国志演義では、この或る人物を楊柏として話を組み立てたのでしょう。
ちなみに、都講祭酒とは、師君(張魯)のすぐ下でありなかなかの高位です。馬超が来る以前から張魯に仕えている人間から見ると、さしたる貢献もない馬超が名門の名前だけで張魯の姻戚になるのは、それは、面白くないだろうなとは思います。
楊伯は馬超の蜀投降をドラマにする為に悪党にされた
ここまでの楊柏の正史と演義の履歴を考えると、正史の楊柏が馬超を嫌っていたものの、一過性の人物であるのに対し三国志演義における楊柏は、馬超を害そうと長期つきまとう憎々しい悪党に設定されている事が分かります。
それは、何故かというと正史の馬超は、張魯に見限られて殺されかけ武都まで避難してから、身の振り方に窮して劉備に投降したからです。しかも、投降後はこれという華々しい活躍もなく、劉備より先に亡くなってしまうのです。
プロ野球に例えるとメジャーで活躍していた大リーガーが年齢と怪我で打てなくなり、かつての名声を唯一の武器に海を渡り、読売巨人軍に入団するも成績不振で、大した活躍もなく短期でアメリカに帰るようなものでしょう。
何も知らない人から見れば、ジャイアンツが大リーガーを獲得ですが内実を知っていると、余りに寂しく物悲しいのです。三国志演義の執筆者達は、あまりにドラマ性がない最期の五虎将にドラマ性を加味して、不可思議な運命が馬超を劉備の下に導いた事にしたかったのです。
つまり、大リーグでバンバンホームランをかっ飛ばしている大リーガーが経営陣と揉め事を起して、メジャーにいられなくなり海を渡って読売巨人軍に入団する方がドラマになるみたいなものですね。
最後は馬超に殺害されてしまう楊柏
そんな楊柏ですが、三国志演義では、馬超が李恢の説得に応じて劉備に投降する際に、恨み重なる因縁の相手として馬超に殺されています。三国志演義では兄とされた架空の人物楊松は、楊柏どころではない悪党で、馬超が張魯から愛想を尽かされて劉備軍に降らざるを得なくなるように諸葛亮に賄賂を掴まされて暗躍します。
そして、3つの命と称して馬超に西川(蜀)を取り、劉璋を殺し、荊州の軍勢を追い返す事が出来たら謀反の意思はないと認めようと無理難題を吹っ掛け精神的にも肉体的にも追い詰めていくのです。
1つでさえ達成できないのに、3つも無理難題を突き付けられた馬超は李恢の進言で、自分が劉備に降る以外に助かる道はないと知り投降します。史実では、全てを失った馬超が自ら助けてくれと劉備の下に行くのを、三国志演義では孔明が罠に掛けて、劉備軍へと誘導するわけです。
三国志ライターkawausoの独り言
金に汚い楊松の末路ですが、西暦215年には曹操にも買収され曹操軍を漢中に引き入れて、曹操の勝利に貢献します。そして、張魯やその配下が助命される中で「主君を裏切るヤツは信じられん」というアジャパーな理由で曹操に処刑されるのです。楊柏も楊松も、メッキが剥げた英雄馬超に、再度金メッキをする為に三国志演義で使われたんですね。
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