張宝は黄巾の乱の首謀者である張角の弟です。中平元年(184年)に兄の張角・弟の張梁と一緒に後漢(25年~220年)に対して反乱を起こします。
「黄巾の乱」と呼ばれています。しかし、最期は討伐軍として派遣された皇甫嵩に敗北して戦死します。張宝に関しては兄の張角に比べると正史『三国志』の記述量は圧倒的に少ないです。
だが、彼の死に方は様々でありユニークでした。そこで今回は正史だけではなく、マンガ・アニメも含めて張宝がどれほどの頻度で登場しているのか解説します。
「張宝 人物像」
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この記事の目次
正史『三国志』の張宝 戦死
先述したように正史での張宝は情報が少ないです。張宝は中平元年(184年)に張角が挙兵すると、「地公将軍」と自称しました。
黄巾軍は最初は優勢でしたが皇甫嵩の火攻めの計で破られて以降、勢いが衰えます。また、張角も同年には病死、弟の張梁も戦死しました。残った張宝は下曲陽まで逃げますが、討伐軍として派遣された皇甫嵩と馮翊・郭典により討たれます。
彼は首を斬り落とされて、「京観」にされました。京観とは死体を積み上げて盛り土をして作った塚のことであり、これをやることで将軍の武功を示します。兄の張角・弟の張梁と比較すると、壮絶な最期です。
小説『三国志演義』の張宝 暗殺
小説『三国志演義』の張宝は皇甫嵩ではなく朱儁と戦います。ここでは妖術使いとして登場します。だが、妖術を朱儁に破られ敗北。最期は部下の厳政に殺されました。割とあっさりしています。
横山光輝『三国志』の張宝 劉備の奇襲
張宝は横山光輝氏のマンガ『三国志』にも登場します。黄巾軍討伐のために派遣された朱儁でしたが、全く勝つことが出来ません。ちなみに、このマンガに登場する朱儁は正史と違って性格が傲慢です。
朱儁は自分が勝てないものだから、連戦連勝だった劉備の義勇軍にペコペコと頭を下げます。普段と態度が違うことにあきれた劉備たちでしたが、民のためなので引き受けました。
さて、張宝の本陣まで近付いた劉備でしたが、朱儁の兵士たちから張宝が妖術使いであることを聞かされます。妖術なんて最初から信じていない劉備は、そのまま突撃。
ところが、張宝は風を起こす妖術を使って劉備をあっという間に撃退しました。妖術は本物だったのか、と関羽は納得しますが劉備は違うと反論します。
劉備によると張宝の風を起こす技は谷の形状を利用しているだけであり、妖術ではないと推理しました。真正面から向かっても意味が無いので劉備は裏の崖を登って張宝に奇襲をかけます
奇襲を受けた張宝は大慌て。誰か内通者でも出たのかと勘違いをしました。そこへ劉備が放った矢が首に突き刺さり、あっけなく討ち死にします。
アニメ版 横山光輝『三国志』の張宝 劉備との一騎打ち
概要は先ほどご紹介したマンガ版と一緒です。ただし、死に方が全然違っています。奇襲を受けて張宝は慌てているところに劉備が参上!
劉備と張宝は一騎打ちになります。
数合剣を交えた末に、劉備の剣が一閃!
張宝を切り裂きました。こうして地公将軍張宝は劉備により討たれたのでした。
三国志ライター 晃の独り言 悲劇の買い物事件
以上が様々な死に方をした張宝に関しての解説でした。さて、話は黄巾軍から脱線するのですが、先日ゲームの店でPCゲーム『恋姫+無双』の中古品を入手しました。
やはり三国志関係に携わっている以上はせっかくなので、プレイしてみることにしました。インストールに15分もかけましたが、とりあえずプレイ開始と思ってデスクトップのアイコンをクリック。
「・・・・・・・・・・・・」
何も起きない。もう1度押しても同じことでした。13年前の作品なので正直嫌な予感がしました。改めてネットで調べなおすと「Windows Vista以上対応不可」と出ました。
800円損した・・・・・・中古品だから良かったが、新品だったら10倍の損でした。
※参考文献
・谷川道雄・森正夫編『中国民衆叛乱史1 秦~唐』(東洋文庫 1978年)
※はじめての三国志では、コメント欄を解放しています。張宝が大好きである。いや、張宝よりも部下の兵士の方が好きという人はコメントをドンドンお寄せください。お待ちしています。
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