後半は悲壮な展開になる三国志演義において気持ちがホッコリするのは諸葛亮の南蛮征伐の部分です。
未知の南蛮には、兀突骨や朶思大王、木鹿大王のような漢族の常識を超えたビックリ人間が大勢住んでいて、
蜀の支配に対して反抗するのですが、その奇想天外な戦いぶりと熱帯故の南国風味が、一時厳しい現実を忘れさせてくれます。
では、三国志演義ではなく、リアルな南蛮にはどんな部族がいたのでしょうか?
今回は知られざる、リアル南蛮民族を特集します。
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この記事の目次
成都の下は南蛮アイランドだった
南蛮とは正確には南蛮西南夷と言います。
もちろん、これは自称ではなく漢民族の呼称であって身も蓋もない話「南と南西方面の野蛮人共」という意味です。
蜀漢の帝都は、言わずと知れた成都ですが、その南には早くも無数に別れた南蛮の人々が独自の暮らしを送っていました。
では、彼ら南蛮西南夷は、どんな人々だったのでしょうか?
漢嘉・越巂郡に居た「巂」
漢嘉郡・越巂郡には、巂という異民族が存在していました。
彼らは全身に龍の鱗文様の入墨を施し、春には低地で種を撒き、夏には涼しい高地で放牧するという牧草地の標高差を利用した
移牧というライフスタイルを取っていました。巂は小さな部族で大酋長はいませんが、
頻繁に蜀に反逆していた高定が比較的に有力なボスでした。高定は洞窟の中に住んでいたようです。
近くにはサク都と呼ばれる部族がいて、同じように移牧を営み、狼岑、槃木王という酋長が統治していました。
【北伐の真実に迫る】
邛都夷、夜郎、滇
漢嘉郡、越巂郡の南には、邛都夷、夜郎、滇という部族が存在していました。
夜郎と聞くと故事成語が好きな人は、「あっ!夜郎自大」と思うんじゃないでしょうか?
何を隠そうkawausoも思いました。
調べてみると史記の西南夷伝からの出典で、漢の強大さも知らずに、自分の力を誇った夜郎王を井の中の蛙とあざ笑う意味ですね。
しかし、元々夜郎王は強かったらしく前漢の武帝の時代には、精兵10万を擁していて、それを背景に威勢を誇ったらしいです。
ところが、漢の支配を受けてからは弱くなり、前漢の末期には滅びたようです。
滅びたとしても王国がでしょうから、部族としては続いていたでしょう。
邛都夷、夜郎、滇は山間の盆地や河谷の平野で稲作や焼畑を営んでいて、頭には才槌のような髷やドレッドヘアをし
耳には鉄のピアスをしていたそうでなかなかオシャレな人々です。
インドや西アジアに通じる昆明夷
雲南省西南には、昆明夷という部族が数十から数百の邑を束ねて、数十万人という規模で生活していました。
ここは、哀牢王が治め土地は肥沃で五穀、養蚕に適していて、交通の便もよくインドや西アジアとも交流がある中印交通の要衝で
仏教も早くに伝来し、良質な綿織物や綾錦を生産しています。
昆明夷は、元々、漢民族との接触はなく孔明も哀牢王経由で間接統治を施していただけのようです。
成都の西と西北 汶山夷・白馬羌
また、帝都である成都の西と西北には、汶山夷・白馬羌という部族がいました。
彼らは、石の住居と石の門を造り、漢族の侵入には投石で応じる、かなりほのぼのした少数部族で諸葛亮の討伐からは外れました。
一応、西暦247年、汶山の平康夷が叛いて、姜維が出撃して平定しています。
彼等は蜀の将軍、張嶷によって少しずつ征服されていったようです。
蜀漢に取り南蛮は宝の山だった
本来、このような南蛮の人々は、漢族とは全く関わりなく、山深き雲南の土地で、静かに暮らしている人々でした。
彼らは基本、漢族には特に用があるわけでもなく、関わり合いにならずに生きていたのですが、漢族にとってはそうではありません。
ここは、塩、鉄、牛、軍馬、金銀、犀皮等、利益を生み出す宝の山だったからです。
特に、魏と蜀の命運を賭けた決戦に臨まないといけない諸葛亮に取り南蛮は制圧しておかないといけない場所でした。
また、南蛮の人々は精悍な戦士でもあり戦争で確実に減る、兵員補給の為にも必要不可欠な土地です。
例えば、王平に与えられた精兵は南蛮の人々であり、かの街亭の戦いで馬謖が張郃に撃破された時、僅か千人の部隊で
数万の魏兵を足止めしていますし、全員を赤備えで統一した蜀漢の精兵赤甲軍や機械化部隊である弩兵も異民族兵で組織されていました。
しかしまあ、全然関係ない中原の戦いに駆り出された西南夷の人々はいい迷惑だった事でしょうね。
三国志ライターkawausoの独り言
今回はなかなかスポットライトが当たる機会が少ないリアルな南蛮西南夷について調べて書いてみました。
本来なら、中原の漢民族の覇権争いに関係なかった彼らは、蜀漢の正統性の根源である中原回復の大義の為に資源から人員から、
多大な犠牲を払う事になってしまいました。
こうして逆の方向から見ると、孔明の愉快な南蛮征伐も、涙なしには見られなくなるかも知れませんね。
参考:劉備と諸葛亮カネ勘定の「三国志」/193p~195p/文春新書/ 柿沼陽平/2018年5月20日一版/
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