三国志の英雄、曹操が死去した際、曹丕と曹彰、曹植の間で跡継ぎ争いが起こります。
ですがこの争い、三人のそれぞれのキャラクターが立っているために物語としては面白いものの、ぶっちゃけ読者も「この中では、まぁ、曹丕が妥当だろうな」という納得感はあるのではないでしょうか。
曹彰は曹操死亡時に「魏王の跡継ぎの証拠になる印ってどこに保管してあるの?」という空気の読めない発言をして、まんまと曹丕に粛清される根拠を作ってしまい、早々に脱落。この警戒心のなさは人間としては愛されても、曹操の後継者としては論外なノンキさでした。
曹植はその人柄でファンが多かった人ですが、詩を作る才能で愛されていたわけであって、彼を慕っていた人々はあくまで文学サロン的な仲間たち。
とても曹丕に対抗できないとみるや、曹植はすぐに助命嘆願のほうに態度を振り切り生き延びます。もっともこれは本人も跡継ぎに執着していなかったということであり、粛清を免れたというだけでも、正しい態度表明だったかもしれません。
では曹操の後継者レースは最初から曹丕が有利だったのか?
そうとも言えない事情があります。曹丕、曹彰、曹植に絞り切られる前に、また別の二人、有力な曹操の後継候補がいたのです。
つまり曹丕の真のライバル、曹昂と曹沖の存在があったのです。
ではこの「真のライバル」の中では曹丕はどれほどの位置におり、残る二人の力量はどれくらいだったのでしょうか?
「曹操 跡継ぎ」
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この記事の目次
曹操の正式な長男は曹昂!その人柄は?
まずは曹昂から見ていきましょう。この人物は後継者争いという点では、曹丕や曹沖よりも圧倒的に有利なポイントを持っています。曹操の最初の正妻の子、つまり家柄としては曹操の息子の中での「正式な長男坊」なわけです。
順当にいっていればそれだけで後継者になれたかもしれないポジション。ですが残念ながら、この人物は張邈の反乱の際に戦死してしまっています。『正史三国志』の曹操伝(正式には「武帝紀」)に入っている注釈によると、曹昂が死んだ理由は、張邈の謀反で絶体絶命に陥った曹操に自分の馬を差し出し逃がしてやったから、とされています。
まるで日本でいう武士道の物語のような、泣けるエピソードですね。自分の命よりも、英雄としての資質がある父親のほうをこそ生かすべき、という覚悟の座った人物だったようです。
ですが、ちょっと気になるところもあります。
この曹昂の死を曹操はとうぜん嘆いているのですが、同じ戦いで戦死した典韋のことを持ち上げて、「曹昂を失ったことも哀しいが典韋を失ったことはもっと哀しい」という態度をとっているのです。
曹操の冷酷さを示すエピソードとも言えますが、曹操自身の頭の中では、曹昂はそれほど重要な跡継ぎ候補ではなかったのかもしれない、という疑惑が生まれます。
このエピソードをきいたかぎりは、曹丕としても「たとえ曹昂が生きていてもオレにもチャンスはあったはず!」とほくそ笑んだのではないでしょうか?
後継者候補としてはかなり強力だった曹沖!はっきり言って天才児!
問題となるのは曹沖のほうでしょう。曹昂や曹丕とは異母兄弟の関係です。
曹操にはたくさんの側室と子供がいたので、曹沖も「多数の中の一人」にすぎないところですが、どうやら曹操はこの子のことを溺愛し、特に目をかけていたふしがあります。伝えられているエピソードとしても、曹沖の存在感は、何やらとびぬけています。
たとえば彼が幼少の時に、異国(東南アジアかインド)から象が贈られてきたことがあります。
「この象はどれくらいの重さなのだろう?」と大人たちが会話をしている中で、とつぜん曹沖が声をあげて、
「船に象を載せて水に浮かべ、沈んだところに印をつける。同じ船にあとでその印まで沈むように荷物を載せていく。そうすれば、その荷物と象の重さが同じはず」という、天才数学者か天才物理学者の子供時代エピソードのような発言をして周囲を驚かせています。
曹操はよほどこの曹沖が気に入っていたようで、明らかに後継者候補として帝王教育を施していたようです。これは曹丕も心中穏やかではなかったでしょう。
ただし曹丕にとっての幸運がまたしても起こります。
この曹沖は惜しまれつつも、わずか十三歳で夭折してしまうのです。
まとめ:この後継争いを勝ち抜けたのは曹丕の「幸運度」?
曹操の最初の男児という、筋目のよさでリードしていた曹昂。
明らかに天才児ゆえ曹操に溺愛されていた曹沖。
この二人が存命だったならば、曹丕は後継者候補の中でかなり苦しい立場だったでしょう。ところがそれぞれが早世してくれたおかげで、天下は曹丕の手の中に!
これを意識していたのか、曹丕も後に、「曹昂が生きていてもたいしたことはなかったが、曹沖が生きていたらとても私も皇帝にはなれなかった」と言っていたそうです。曹昂にとってはカチンとくる発言ですが、曹丕自身も自分が後継者になれたのはよほどな幸運があってのこと、という自覚は持っていたようですね。
三国志ライター YASHIROの独り言
ともあれ、こんなイヤな対立だらけの曹操家の男子には生まれたくない、というのが私の率直な感想ではあります。
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