戦国時代は、戦争ばかりしている一方で、商人の移動も活発で多くの商売が生まれました。NHK大河ドラマ「麒麟がくる」でも、堺や尾張の熱田の市が映ったりしていましたね。そこで今回は室町時代にあったビックリ職業を1500年頃に成立した七十一番職人歌合から紹介します。
関連記事:なんじゃこりゃ?とツッコみたくなる三国志時代の職業別ユニフォーム
関連記事:軍師ってどんな職業なの?
この記事の目次
戦国の健康ドリンク麹売り
麹売りは、漬物や味噌、それに酒の発酵に欠かせない麹を専門に売った商人で女性が多いようです。「上戸たち、御覧じてよだれ流したまうな」と文言があるのでお酒の麹も売っていたのでしょう。室町時代の説話集、三国伝記にも「蟻と云虫這寄其の汁を唼。其の蟻今西京の二坊なる処に粷売に生して有り」とあるので甘酒も売っていたようで戦国時代のドリンク屋でもあったようですね。
仲買人である牙儈
現代日本では考えられませんが、戦国時代には商品に値札はありませんでした。値段は、売り手と買い手の交渉で決まっているので、売り手に田舎者と見られたら高い品物を買う事になります。そこで登場するのが牙儈で、売り手と買い手の間に立ち、買い手の為に品物を値切る交渉をし手数料を取って生活していました。牙儈は素手で何の道具も無しに舌先三寸で商売をするので、コミュニケーション能力に長けた女性が多く、仲買い以外にも副業として売春なども行っていたそうです。
枕売り
戦国時代には、枕売りという枕を販売する職業もありました。網代笠を被った初老の人物が赤と黒に塗り分けた箱枕を袋から取り出し、「見て下さい、触ってください、よい枕ですよ」と売り口上を述べている様子が描かれています。一般の人が、早々頻繁に枕を買うとも思えないので、これは旅をする人に販売したのでしょう。
旅や外出のお供縫い笠売り
縫い笠は、カサスゲというスゲを材料として縫いつづった笠の総称です。縫い笠は外出、旅行や雨天時に用いられていました。平安時代のドラマで外出中の女性が被っている真ん中が盛り上がった市女笠が有名です。こちらも、近所に住んでいる人より、長旅をしている人の需要があったでしょうね。専門の職人というより、農家や他に職業を持つ人が副業として編む事が多かったようです。
戦国時代のピエロ?放下
放下は、烏帽子をかぶって笹竹に恋歌の書かれた短冊を吊り下げ背負って歩く奇抜な姿をして、人が多い大道や市の立つ殷賑の地に立ち、竹の棒二本を打ち叩いて調子を取りながら、流行歌や面白い事を言い、子女を集めて芸をする大道芸人です。芸事も多彩で、空中独楽回し、皿回し、棒渡りや鞠や短刀などを空中に投げお手玉するジャグリングのような曲芸や奇術を披露し観客を楽しませました。麒麟がくるでは、駒が伊呂波太夫の旅芸人の一座と移動していた時に、放下の芸を習ったようで、それが、ドラマでお手玉や棒渡りの芸として出て来ます。
仏教ビジネス 鉢叩き
鉢叩きとは、鉢、あるいは瓢箪を手にして叩きながら念仏や平易な日本語によって仏やお経などを讃えたり、または歌いながら念仏踊を行って金銭を乞う職業です。七十一番職人歌合には、烏帽子も被らず瓢箪と木の枝らしきものを引きづりながら歩いている様子が描かれています。どうして念仏を読んだり、踊りを踊るだけでお金がもらえるのかというと、当時は今より仏教信仰が強いので、坊主に銭を施す事で功徳を積んで極楽往生できるという考えがあったのです。
戦国のスイーツ調菜売り
調菜は僧体をし、精進料理の副菜を造って売り歩いた人です。精進料理は平安末期に中国から日本に入ってきた禅宗が広めたものですが、精進料理には、点心という小腹が空いた時に食べた饅頭がありこれも室町期には日本に入りました。この中には、オカズになる菜饅頭以外にもスイーツに当たる砂糖饅頭もありました。七十一番職人歌合にも「砂糖饅頭、菜饅頭、いづれもよく蒸して候」の一文があり、ホカホカの蒸饅頭を市で売っていた様子が分かります。
戦国のアロマセラピスト薫物売り
薫物売りは、様々な香りを練り合わせた香料を売る商売です。元々、香料は寺院で仏前を清める供香として始まったものが、平安時代には上流社会で異臭を消す空薫物として流行し、それが庶民の世界にも広がりました。原料は、沈香、丁子、白檀などを粉末にして、天秤で計って調合し麝香などを加えて、梅肉や蜂蜜で練り固めたものですが、頻繁に風呂に入れなかった昔は、臭い消しとして需要がありました。こちらの仕事も女性が多かったようです。
戦国のジョッキー競馬組
日本では、古くから神事として競馬があり、有名なモノには賀茂競馬などがあります。競馬組は、この時の競馬に参加する職業ジョッキーで堀河天皇の時代の寛治七年(1093年)から続く由緒あるものでしたが、戦国の世には寂れていました。七十一番職人歌合にも、「むかしは、上様に寵愛され人気があったのに、今はこの氏人のみが残った」とぼやいています。
相撲取り
相撲の歴史は神世に遡る程に古く、江戸時代には興行化していますが、戦国の相撲取りは、江戸時代のように肥満してなく、筋肉質なのが印象的です。七十一番職人歌合に描かれた戦国の相撲取りの夢は、相撲道の花道に、天皇臨席で行われていた相撲節会に出る事だそうです。当時、相撲節会は廃止されていたのですが、復活の機運でもあったのでしょうか?
戦国時代ライターkawausoの独り言
戦国時代に実在した職業について、色々解説してみました。今にも通じるような薫物売りや、ピエロのような放下がある一方で、牙儈のような仲買人は、公定価格が定まった日本では、なかなか出ないでしょうね。
参考文献:七十一番職人歌合
関連記事:徴兵!近代を背負った成人達の右往左往
関連記事:織田信長のコンビニ戦略小牧山城は稲葉山城を経済で潰す為に築かれた