儒家との対立などで色々なことを言われてしまっている曹操ですが、三国志を代表する英雄であることは間違いありません。そして簒奪者だ!なんだと陰口を叩かれることもありますが、司馬懿もまた三国志を代表することができる英雄の一人です。
しかしこの二人、実は意外な共通点があることはご存知でしょうか?
今回は曹操と司馬懿、この二人の意外な共通点に関してお話したいと思います。
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曹操、羽ばたく前
曹操と言えば袁紹と一緒に花嫁泥棒をしたなどというエピソードからも分かるように、若い頃は中々のやんちゃ小僧だったようです。しかし20歳になる時にはしっかりと役職に付いており、孝廉に推挙されて郎となった後、洛陽北部尉、頓丘県令、議郎を歴任していきました。
この際に洛陽北部都尉に起用したのが尚書右丞であった司馬防、つまり司馬懿の父親なのです。ここからも不思議な縁を感じますね。
曹操の赴任拒否
曹操は184年に騎都尉として黄巾の乱に当たり、大勝利を得ます。この功績から曹操は更に出世、済南の相に任命されましたが、そこでも数々の功績を挙げつつ、良い統治を行っていたことが評価されました。
ここで東郡太守に任命されたのですが、なんと曹操は赴任拒否。病気を理由に故郷に帰ったと言われています。
司馬の八達
さて取り敢えず曹操の話は一旦置いておいて、司馬懿の話を始めましょう。司馬家は大変厳格な家で、司馬懿たち兄弟は父親に厳しく育てられました。そんな彼らは八人兄弟で全員優秀という天が才能配分を間違えたかのような優秀兄弟たちです。
彼ら兄弟は八人とも字に「達」が入ること、八人の達人たちとかけて「司馬八達」と呼ばれました。その兄弟たちの中でも次男である司馬懿は最も優秀だと言われていたと言います。
司馬懿、仮病を使う
そんな司馬懿の評判を聞いた曹操は出仕をするように申し付けますが、何と司馬懿はこれを拒否。一説には曹操に仕えることを好まなかったためとも言われてはいるものの、司馬懿の脳内でどのような考えがあったかは想像すら難しいことです。
ともあれ司馬懿は曹操の出仕要請を病気を理由に辞退しました。あれあれ、この病気を理由にお仕事お断り、どこかで見たような……?
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