もしも、孫権が早死にしていたら三国志はどうなった?


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後悔する孫権

 

呉の大黒柱孫権(そんけん)、晩年こそ老害傾向が強まったとはいえ、皇帝即位あたりまでは、複雑な国際状況を巧みにわたり、国内においても我の強い豪族を辛抱強く導く協調路線で決定的な分裂も起こさず、孫呉を三国の一角として長期間維持しました。

 

孫策の人生に一辺の悔い無し

 

しかし、ご存知の方も多いでしょうが、呉は初代孫堅(そんけん)、二代目孫策(そんさく)が20年間に相次いで亡くなり、存続が危ぶまれた時期もあったのです。孫権だって途中で亡くなる可能性がないとは言い切れない性格でもありました。

 

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そこで、今回のはじさんでは、もしも孫権が早死にしていたら三国志はどうなった?というifストーリーを取り上げます。

※ここからはifのストーリーなので細かい事は言いっこなしです。


孫権、赤壁の戦勝で気が緩み虎に襲われ死亡

赤壁の戦い

 

赤壁の戦いで、魯粛(ろしゅく)周瑜(しゅうゆ)の進言に従い曹操(そうそう)を打ち破った孫権は重圧から解放され、久しぶりに牧場で虎狩りをしようと思い立ちました。張昭がうるさく反対しましたが、孫権は気をつけるから大丈夫と強引に出発。

痛い目にあう孫権

 

しかし、馬上から雌虎(めすとら)を夢中で射った時、倒れた虎を確認しようと馬を下りた孫権に、つがいの雄虎(おすとら)が背後から襲い掛かります。驚いた従者は矢を射て雄虎を仕留めますが、妻を殺された雄虎の執念は凄まじく、孫権は見るも無残な姿になり息絶えていました。ここからという時の孫権の死に、孫呉の面々は哀しみに沈みますが、同時に豪族の寄せ集めである呉では、生き残りの為の離合集散が繰り返されるのです。


張昭曹操への降伏を企む

張昭

 

この緊急事態を受けて最初に動いたのが張昭(ちょうしょう)でした。子供のいない孫権の後継者に、孫策の嫡男の孫紹(そんしょう)を立てる事を上奏し、さらに、鄴の曹操に極秘裏に張紘を使者として派遣、降伏の用意がある事を打診します。

 

元々、赤壁の戦いには反対だった張昭の一派は、そもそもが江南の名族であり自分達の権益さえ守れれば、主は孫権でも曹操でも良かったのです。

魯粛と周瑜が詐欺を決行

 

ただし、いきなり降伏となれば呉の強硬派、言うまでもなく魯粛や周瑜が騒ぐ事は間違いないので、最初に曹操の子女を孫紹の正室として送ってもらい友好を深め、数年では孫紹を鄴に送って人質とし、張昭が代理として呉を統治して太守になり平和裏に呉を併合してもらおうという企みでした。

 

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劉備は呉の乗っ取りを企む

夷陵の戦いで負ける劉備

 

孫権の死に衝撃を受けた最大の人物は劉備(りゅうび)でした。

 

「赤壁のドサクサで荊州南郡を分捕り、劉琦(りゅうき)を建前上の太守にして、やっと一息つけるかと思えば、あのアル中ヒゲダルマ、虎に食われてオダブツかよ!」と怒鳴り散らします。

劉備

 

ちくしょぉ、、なんでオイラの人生、こんなに災難続きなんだよぉ曹操こええよぉ・・

 

しかし、机の上にふさぎこむ劉備に諸葛亮が近寄り、にやっと笑って言いました。

孔明

 

「殿、御武運が回ってきましたな!」

 

黒田官兵衛

 

これじゃ、本能寺の変を知ってパニックになった秀吉を落ち着かせた黒田官兵衛じゃん!

なんて突っ込みはさておき、とにかく諸葛亮は、ぶつぶつ愚痴を言い続ける劉備を宥め、以下のような孫呉乗っ取りの計を提案します。

舌戦で煽るのがうまい諸葛亮孔明

 

①孫権が死んだ事で、元々曹操との戦いに反対だった張昭辺りは、すでに極秘に曹操に使者を送り平和裏に呉を併合するように頼んでいるし、曹操は受けるだろう。

 

魯粛と周瑜

 

②主戦派の魯粛と周瑜は、曹操が呉に入れば(うと)んじられ、最悪処刑の憂き目にあうのは必定。しかし、孫権に子はなく、孫策の遺児の孫紹はまだ少年で担ぐには頼りない。

劉備とイチャイチャする孫尚香

 

③そこで孔明が弔問の客を装って呉に乗り込み、魯粛に説き孫権の妹を劉備の正室にする事で縁戚とし、孫紹が長じるまで劉備を呉の後見人とする事を提案する。

扇からレーザー光線を放つ孔明

 

この3ステップで劉備を暫時の呉主として張昭一派を沈黙させ、最終的には孫紹も理由をつけて追い出せば、曹操に対し五分とは言わないまでも、3:7で対抗できますと孔明は言いました。

二刀流の劉備

 

どの道、今までも、やくざのような生き方をした劉備は、あっさり泣くのをやめ、「よし、任せたぜ孔明、オイラを呉王にしてみせろ!」と発破をかけたのです。


 孔明に同調する魯粛

魯粛

 

さて、魯粛ですが、このクレイジーボーイは、なんとしても曹操の天下統一を認めるつもりがありません。元々、赤壁の戦いを周瑜と二人で煽って孫権に開戦を決意させたのだって、このままだと曹操の天下になり、自分は竹帛(ちくはく)(歴史書)に名前を残せなくなるという功名心のせいでした。

魯粛、孫権、張昭

 

おまけに、孫権と初対面の時から、you!死に損ないの漢に忠誠を誓うのなんてやめて、忙しい曹操のタイミングみて独立しちゃいなyo!とジャニー喜多川っぽく爆弾発言した経緯から、漢の忠臣を自認する張昭に激しく嫌われ、もちろん、今さら降伏派に鞍替えするのも無理でした。

 

挑発する諸葛亮孔明

 

悩んでいる時に、諸葛亮が弔問できて、

 

「ウチの劉備なら百戦錬磨のベテランですし、孫権殿の妹御を輿入れさせて縁戚とし、お若い孫紹様の後見人にすれば、どうせ、今頃、忠義顔してコソコソ曹操に降伏する算段をしている張昭一派を黙らせるには十分だと思いますよ?ウヒョ」

孔明

 

(ささや)いたものですから、魯粛は大乗り気になり、後宮に働きかけを開始しながら諸葛亮の兄である諸葛瑾にも根回しを開始して、張昭派の引き抜きを開始します。

【次のページに続きます】

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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