正史三国志と呼ばれる歴史書に、注を付けた裴松之。この裴松之の注はあくまで歴史書として簡潔にまとめられた正史三国志に、とても、とても情熱たっぷりな主観とも言える文章を添えているのがポイントです。
しかし情熱たっぷりになるあまりにどうしても個人の趣味趣向が先走りしている場面もあり……?
今回はそんな裴松之の注から読み取れる、裴松之の武将たちの好き嫌いをお話していきたいと思います。
この記事の目次
裴松之の注について
陳寿のまとめた三国志はあくまで歴史書ということがあるためか、あくまで文章は簡潔です。そして表面上は淡白に、陳寿の主観を交えないように武将たちの評価をしているように見えます。それでも隠し隠し劉備への敬意が見えるようにも思えますが……それはまたどこかで。
一方で、裴松之の注は裴松之の主観が多めに盛り込まれているのが特徴です。というよりもかなり裴松之の感情が感じられるのが、この裴松之の注の面白さと言って良いでしょう。
感情が込められた注
例えば陳寿は蜀の皇帝であった劉備に対する敬意が感じられると言いましたが、裴松之の注では諸葛亮への敬意がとても強く感じられます。また同じようにその遺志を継いだとも言える姜維に対する敬意、というか思い入れが強いように思います。
姜維の注では東晋の歴史家である孫盛の姜維に対する批判の記録が載せられているのですが、その後で裴松之の弁護が乗っているのが面白いですね。そんな裴松之の注で凄いのが、審配に対しての記述です。
審配という武将
審配について簡単におさらいをしておきましょう。審配は袁家の武将であり、袁家の滅亡に関わりながら、最期の最期で華々しい活躍をする武将です。・
審配は官渡の戦いで田豊らの持久策を無視する、許攸の家族逮捕で恨みをかって裏切られるなどの失態を見せているだけでなく、袁紹の死後には袁尚を擁立したことで袁家の分裂の一端を担ってしまいます。
しかも袁尚を擁立した理由が「辛評らに処刑されるから」という完全なる私情で……その後も私情全開で行動するも、最期の最期である防衛線で忠臣たる奮戦ぶりを見せつけたためか、三国志演義では中々に扱いが良い武将となっているのが興味深い所です。
もっとも熱意が盛り込まれている?
そんな審配は最期は捕らえられて処刑されますが、この際に「山陽公載記」「献帝春秋」では「審配は緯度に逃げ隠れて捕まった」と記載されています。しかし裴松之先生ここでいきなりヒートアップ!「審配は逃げ隠れなんてしないから!これは間違い!あり得ない!(かなり意訳)」と著者までなじる始末。
因みに裴松之先生、よっぽど腹に据えたのかこのニ書の記述を荀彧伝でも馬超伝でもとにかく否定してます……先生、落ち着いて!
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