民間伝承によるとそろばんを発明したのは関羽であると言われています。しかし、実際は関羽が生まれる以前からそろばんの原型になるものが使用されていたことから、この伝承は後世にできた作り話である可能性が高いです。
ただ、火のないところに煙は立たないということで、なぜ関羽とそろばんが関係するようになったのかそろばんと関羽信仰の歴史を探りながら、民間伝承が生まれた理由を考察していきたいと思います。
中国最古の計算ツール
中国最古の計算ツールと言われているのが籌算です。「籌」という字は数を数える際に使用する竹製の棒を指し、これを布や板の上に置いて計算をしていました。後年には鉄製や玉製の籌もできるなど進化をしていきます。
籌算を使った計算方法は紀元前の戦国時代初期には存在していたと言われていて、四則演算はもちろん、0の概念やマイナスの計算、分数にも対応するなど汎用性の高さから元代から明代頃までメジャーな計算ツールとして活用されました。
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珠を使った計算ツールの誕生
後漢時代の数学者・徐岳が編纂し、北周時代の甄鸞が注釈を加えた書物「数術記遺」によると紀元前にはすでに14種類もの計算ツールがあったとされています。その中の一つに游珠算板というものがあり、これは板の中に均等に溝を彫り、そこに珠を出し入れすることで計算をするというツールです。
比較的現在のそろばんとも近いものと言えるでしょう。他にも前述した籌算の籌を珠に変えて計算するなど、珠を用いた計算方法は古くから存在していました。なぜこれだけ複数の計算方法があったのかというと、ツールごとに計算できる桁数や持ち運びのしやすさが異なることから状況によって使い分けられていたようです。
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そろばんは唐代にできた
私たちに馴染みのあるそろばんができたのは唐代頃と考えられています。なぜなら唐代はかつてないほど商業が発展した時代であり、これまでの計算ツールでは不十分になったためです。
他にも北宋時代の開封の様子を記した清明上河図には、現代のそろばんに近いものが描かれているので、そろばんは唐代から北宋時代の間には存在していたと言えます。
宋代以降はそろばんがメジャーなツールとして広く利用されるようになり、南宋時代から元代へと時代が下るにつれて籌算は廃れていきました。ただ、完全になくなったわけではなく明代頃まで便利なツールとして利用されています。
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そろばんは富の象徴
中国では古くからそろばんは富の象徴として考えられてきました。これは富を築いた商人が持っていることや、お金を計算する時に使用するものであることなどが理由ではないかと思われます。
近代では金色や鉄製のそろばんは「(そろばんを使っても)計算できないだけの富」という比喩となっていますし、支出を減らすことで新婚生活が安定するという意味で、女性の嫁入り道具の一つに数えられるようになっています。また、実用品としてではなく贈り物や金運上昇のアイテムとして家に飾れるようなデザイン性の高いオブジェクトも作られるなど、便利なツールから象徴的な物へとイメージが変化していきました。
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